松山千春のベスト・アルバムはいずれも「起承転結」と名付けられ、すでに10作を超えています。この作品はその記念すべき第一弾にして、アルバムとしては井上陽水の「氷の世界」に続き、史上2番目のミリオン・セラーとなった名作です。

 松山千春はさまざまな点でユニークなアーティストです。まずは北海道の足寄を拠点に活動する地方発のアーティストであるところ、フォークからニュー・ミュージックへの過渡期を象徴するアーティストであることなどなどです。

 松山のデビューは1977年1月、本作にも収録されている「旅立ち」でした。その後、順調に活動を続け、オールナイト・ニッポンでのDJっぷりが人気を呼び、歌手としては1978年に発表した「季節の中で」が大ヒットして、一般的な知名度を獲得しました。

 私には、「ザ・ベストテン」に出演するかしないかでごたごたしていたことが最も印象に残っています。テレビ出演拒否というのは反骨精神あふれるフォーク歌手の姿勢だと受け止めていたので、何をかっこつけてるんだと冷ややかにみていました。

 彼は一度だけ出演した際にカメラだけに向かって歌うのは寂しいという趣旨のことを語っていました。今にして思えば、松山千春は別に大きな主張をしているわけではなく、ごくごく自然な態度だっただけなんでしょう。当たり前と言えば当たり前。客をいれないテレビがおかしい。

 当時、フォークに偏見をもっていたのは私のようです。改めて、「季節の中で」を含む「起承転結」をじっくり聴いてみると、松山千春の情景描写にすぐれた素直な歌詞、奇を衒わない素朴なメロディー、真っ直ぐな歌唱に感服いたします。

 最先端のサウンドというよりも、歌謡曲や民謡に対してフォークからアプローチしたという意味で新しいサウンドです。まさにニュー・ミュージックと呼ばれる音楽の典型であろうと思います。聴きようによっては演歌。大言壮語するあくの強さとうらはらな素直で大らかなサウンド。

 音楽評論家の三橋一夫氏による当時のライナーノーツが面白いです。島崎藤村の詩やハイネの詩集、ビートルズやサイモン&ガーファンクル、岡林信康・吉田拓郎・井上陽水と続く、「青春の門」の系譜に松山千春を置いています。壮大でいて、幸せな話です。

 一番考えさせられたのは、「日本のフォークは高度成長期に種子がまかれ、低成長期に花を開いている」の一節です。この当時、まさかその後にバブルからその崩壊、そして失われた20年がやってこようなどとは露ほども思っていませんでした。

 松山千春の曲を聴いていると、古き良き時代という言葉が湧いてきます。今や大御所となりましたが、デビューから登りつめるまでを記録した初々しいアルバムには、狂乱の高度成長とバブルの間の平和な時代が映っているように思います。

 「季節の中で」に代表されるのびやかで屈託のない歌。洋楽に対しても、都会に対してもコンプレックスを持たない北海道の野生児。キャラクターとのギャップはありますけれども、松山千春の登場は大きな事件でした。

Kishoutenketsu / Matsuyama Chiharu (1979 Panta)