エルヴィス・コステロのデビューは鮮烈なものでした。今ではパンクの文脈でコステロを語る人は少なくなりましたけれども、当時高校生だった私の目にはとてもパンクらしいパンク・ロッカーに写りました。何と言っても声が怒っていますから。

 エルヴィス・コステロはもちろん芸名です。ただしコステロは母の旧姓なので本名だと言ってもおかしくはありません。注目は何といってもエルヴィスです。大それた名前です。ちなみにエルヴィス・プレスリーはコステロのデビュー直後に急逝しています。

 この名前はコステロのデビュー作を発表することになるスティッフ・レコードのジェイク・リヴィエラによる命名です。大胆な名前とバディ・ホリーを思わせるルックスはリヴィエラの戦略です。プロデューサーとしては見事な腕前です。案の定、コステロは大きな話題となりました。

 スティッフ・レコードはディープなアメリカン・ロックを特色とするパブ・ロックをパンク流に再解釈したサウンドを追及していたレーベルです。コステロは若い頃からパブ・ロックの元祖ともいえるブリンズりー・シュワルツに入れ込んでいましたから、レーベル色にぴったりでした。

 10代の頃から、アメリカン・ロックを熱心に聴いていたコステロは、ブリンズリーのほぼコピー・バンドで音楽活動を開始しています。デモ・テープ片手に売り込みを図ったコステロは、元ブリンズリーの重要人物ニック・ロウの仲介でスティッフと契約を交わすことになります。

 もともとはソング・ライターとしての契約が考えられていたそうですが、ロウはアーティスト契約を主張、自身がプロデュースすることで、こうしてデビュー・アルバムが発表されることになりました。それは、いつの時代の作品かと思わせるようなジャケットであり、サウンドでした。

 後にコステロと切っても切れない関係になるアトラクションズはまだ結成されておらず、本作品のバッキングを務めているのはクローヴァーなるバンドです。このバンドはリヴィエラがロンドンに呼び寄せていたサンフランシスコの中堅バンドでした。

 このクローヴァーが後にヒューイ・ルイスをボーカリストに迎えて、スーパー・ヒットを連発することになるザ・ニュースです。どんどん時間軸がややこしくなりますが、要するにルーツ・アメリカン・ロックに根っこを持つブリティッシュ・パブ・ロックのパンク版がコステロ・サウンドです。

 今となってはパンクは様式が確立していますが、この当時の日本での受け止め方は、怒りを下敷きにした生きのいいシンプルなロックン・ロールがすなわちパンクでした。プログレやヘビメタではない若いバンドのロックン・ロールはみなパンク。

 コステロのいちびったような歌声はまさにその定義によるパンクにぴったりでした。短い勢いのある曲が連打され、流れるようなボーカルは程よい苛立ちを表現しています。そこに名バラード「アリソン」が加わって、まるでサザン・オールスターズのデビュー時のようでした。

 後にコステロの音楽の引き出しはジャズやスタンダード、ブリティッシュ・ビートにカントリーやR&Bなど幅広いことが明らかになりますが、勢いに任せたように聴こえるこの作品でも、聴けば聴くほどいろいろな要素がつまっています。今にして思えば大物のデビューでした。

My Aim Is True / Elvis Costello (1977 Stiff)