1967年12月10日、オーティス・レディングは飛行機事故でわずか26年の生涯を閉じました。不世出のソウル・シンガーが齢わずかに26歳とは残念なことこの上ありません。歳をとっても活躍が期待されるソウルの世界なのに、返す返すも惜しいことです。

 しかも、当時のオーティスはマーク2とも言うべき新たな段階に入った矢先でした。ヨーロッパから戻ったオーティスは、ロック界の大きな催しだったモントレー・ポップ・フェスティバルで大観衆を魅了し、その知名度を別次元に引き上げます。

 ヨーロッパでブラスを抑えたシンプルな演奏でのボーカルに自信を深める一方、「サージェント・ペッパー」とアレサ・フランクリンに影響されて、最新のレコーディング・テクニックを取り入れることを決意し、さらに、より曲作りに時間を割くようになりました。

 こうして1967年を通じてオーティスはアルバム1枚分以上の曲を録音することになりました。しかし、新たなオーティスはこれに満足せず、アルバム発表はなりませんでした。そうこうするうちに喉にポリープが見つかり手術を敢行します。

 術後、しばらく話すことすら禁じられたオーティスは妻のゼルマに「回復したら新しいオーティス・レディングになるんだ。自分はスタイルを変える。皆は自分が懇願するスタイルに飽きてるんだ。俺は変わる。新しくなるんだ。」と決意のほどを語っています。

 その結果が「ドック・オブ・ベイ」です。事故の少し前に録音されていた稀代の名曲です。それまでのオーティスとはまるで曲調が異なるため、スティーヴ・クロッパー以外はシングル発売に反対しました。しかし、オーティスはヒットを確信していたそうです。

 確かに、「ドック・オブ・ベイ」とそれまでのオーティスとをどう折り合いをつけるかが、後追いのオーティス・ファンには大きな課題となります。どちらも凄いわけですが、同一人物とは思えないほどのスタイルの相違です。

 しかし、この曲は本当に名曲です。クロッパーのシンプルなアレンジを背に、オーティスがドックに腰かけてしみじみと人生を歌う。ソウルの粋を極めたボーカルながら、ポップ・チャートでも1位になることがよく分かります。

 このアルバムは、シングルとして先行発売された「ドック・オブ・ベイ」を収録した作品です。オーティス没後2か月でバタバタと作られたために、それまでのシングル曲などアルバム未収録曲を中心にした編集盤です。未発表曲は1曲のみです。

 シングル曲は4曲でうち1曲はカーラ・トーマスとの連名アルバムから。B面曲が3曲、オムニバス収録が1曲、「ソウル・アルバム」からの再録が2曲。バラバラと言えばバラバラですけれども、オーティスの死を悼むアルバムとしては、拙速に未発表でまとめるより良かったです。

 ジャケットにはモントレーでの勇姿、裏ジャケにはギターを抱えて曲作りにいそしむオーティス。そして「ドック・オブ・ベイ」。生まれ変わったオーティスに、これから先どんな素晴らしい世界が開かれていたことか。本当に残念です。

参照:"Otis Redding : An Unfinished Life" Jonathan Gould

The Dock Of The Bay / Otis Redding (1968 Atco)