満州は満という州だと思っていましたが、そうではありません。正しくは満洲、文殊菩薩のサンスクリット名マンジュシュリーのマンジュ、要するに文殊菩薩のことです。しかも、火の明王朝に対する水の清王朝ということで、州にはさんずいがつきます。

 石橋英子の新作は満洲国がテーマとなっています。その作品を初めて聴いた日に、満洲に係わる思い違いを正されるとは。世の中には偶然なんてものはないという言葉を信じたくなります。満洲が私を呼んでいるんです。

 石橋英子は日経新聞ではシンガー・ソングライターと紹介されていましたが、何やら居心地が悪いです。公式サイトでは「石橋英子の肩書でジャンルやフィールドを越え、漂いながら活動中」とされていて、もちろんこちらの方がしっくりきます。石橋は石橋。

 4年ぶりの新作のタイトルは「私の骨が見る夢」とされています。「実際に私がそこにいたわけじゃないけど、DNAで伝わってくるもの、人間の持っている特別な能力として、想像して伝わってきたものを感じ取ることができる意味で『骨』」です。

 意味するところは、2年前に亡くなった父親が子どもの頃満洲で撮った写真に触発された作品ということです。私の義父も引揚者でしたが、その頃のことは語りたがりませんでした。石橋父も同様だったそうで、亡くなった後、満洲のことをあれこれ調べてみたのだそうです。

 曲の中には中国語で歌われる曲まであります。架空の地名だという「アグロー」です。中国のシンガーソングライター程壁が翻訳したその歌詞を石橋が歌うのですが、フランス語のようでもあり、むしろ無国籍な感じがして狙いは過たずといったところです。

 また、「アイアン・ベイル」では、♪ハルビン♪やら♪チチハル♪で何とか中国の地名を並べているのだと判別できました。こちらも不思議な感覚をもたらします。日本語の歌も3曲あり、石橋のドローンのようなボーカルはサウンドに埋め込まれて陶然とさせます。

 サウンドは共同プロデュースに変態中年男ジャケで有名なジム・オルークを迎え、ノイズドラマー山本達久や日本で活動する豪ドラマーのジョー・タリア、ベースの須藤俊明、ヴァイオリンの波多野敦子らとともに組み立てられています。

 波多野は、「録音中は深海の底をスローモーションのようにゆっくり歩いているような気分でした」と語っています。この言葉はよく分かります。まるで音が隅の方から流れ出てきて、後景を埋め尽くしてくるような感覚。じわりじわりと世界が動いていく。

 まるで一本の映画を観るようだと評される作品です。映画は映画でもロードムーヴィーです。物語を紡ぐというよりは、光景を描写していく映画。「ゴースト・イン・ア・トレイン」などはまるで機関車のようなリズムが、満洲の荒野の旅に連れて行ってくれます。

 「英子さんの細かいコラージュ的なサウンドデザインのそれぞれの音のキャラクターを失う事なくまとめる事に全力」が注がれたサウンドは、聴く人それぞれの満洲、それぞれの骨が見る夢を現前させます。きわめてリアルな体験をもたらす美しい作品です。

参照:CDジャーナル2018年8・9月号(大鷹俊一)

The Dream My Bones Dream / Eiko Ishibashi (2018 Felicity)