「プロデューサーのジョン・ケイルにはパンキッシュな楽曲を求められたんだけど、数曲を除いてはポップな仕上がりだろ?」。再発CDの帯にはバンドの中心人物の一人、グレン・ティルブルックの言葉がキャッチコピーとして書かれています。

 普通、CD帯にはもっと派手で扇情的な言葉が入るものです。いかにも皮肉のきいたスクイーズらしさが制作スタッフに乗り移ったとしか思えません。スクイーズを知っている人しか買わないと決めつけていたのかもしれませんが。

 スクイーズは1974年に活動を開始した英国のバンドです。バンド名はヴェルヴェット・アンダーグラウンドのアルバム名からとったそうです。わざわざルー・リード脱退後のほとんど無視されているアルバムを持ってくるところが素敵です。

 彼らはレノン・マッカートニーの再来と言われる、ティルブルックとクリス・ディフォードのコンビにキーボードのジュールス・ホランドを加えた三人が核となった5人組です。当初はルネサンスやカーヴド・エアなどプログレ勢のサポートも務めていたそうです。

 彼らを見出したのはマネージャーとなったマイルス・コープランドでした。マイルスはポリスのスチュワートの兄で、この時期の英国ロック界のあちらこちらに顔を出す大立者です。マイルスはヴェルヴェッツのジョン・ケイルのプロデュースでスクイーズのEPを制作します。

 その成果をもって大手A&Mとの契約を勝ち取り、こうしてめでたくデビュー・アルバムを発表することができました。マイルスの戦略は、時流にのってパンクで攻めるというものです。それでジョン・ケイルの起用です。ケイルはまずスクイーズのそれまでの曲を却下します。

 バンド名をとったほどですからヴェルヴェッツのレジェンド、ジョン・ケイルのことは尊敬していたでしょう。プログレのサポートをやっていたことからも分かる通り、スクイーズはパンクとは縁遠いバンドであったにも関わらず、ここでの彼らは頑張って要求にこたえています。

 結果は、冒頭の言葉に書かれている通りです。パンクっぽくまとめられてはいますけれども、パンクの枠にはまるで収まらないポップな仕上がりです。ジョン・ケイルもロンドン・パンクと近い訳ではなく、本来アートな人ですから、そっち方面の味わいも溢れています。

 とはいえ、2曲だけ収められたセルフ・プロデュースによる楽曲はいずれもシングル・カットされており、むしろ評判がよかったわけですから複雑です。特にスマッシュヒットした「テイク・ミー・アイム・ユアーズ」はホランドのシンセも印象的な名曲です。

 もちろん、ケイルのプロデュース作品の中にも「ザ・コール」のようなアヴァンギャルドなカッコいい曲も多い。矯めきれないスクイーズの才能が迸っています。この当時の録音なので、若干物足りないサウンドですけれども、曲はどれもこれも素敵です。

 スクイーズは、よく言われるレノン・マッカートニーよりも、キンクスのレイ・デイヴィスと比較される方がしっくり来ます。楽曲の数々は極めて英国土着的な知性を感じさせます。英国ロック界ポップ派の王道を行くバンドであることはこのデビュー作ですでに明らかでした。

Squeeze / Squeeze (1978 A&M)