何という猥雑なエネルギーに満ち溢れた音楽なんでしょう。魔人ローランド・カークの作品の中でも最も売れたという歴史的名盤は、歴史的名盤と言われるだけのことはある歴史的名盤です。もう一度繰り返しておきましょう、歴史的名盤です。

 「私たちはみんな見えないムチに追い立てられている」という解説付きのタイトルは「ヴォランティア―ド・スレイヴリー」。当初邦題は「屈辱への道」という一見もっともらしいですけれども、意味を十分に取り込んでいないものでした。

 屈辱ではないでしょう。自発的に奴隷状態に置かれることは、さほど珍しいことではありません。自発的に言いなりになってしまえば、屈辱を感じることはありません。それゆえに余計にたちが悪い。カークの叩き付けるメッセージは重いです。

 本作は前半部分がゴスペル・コーラスが参加したスタジオ・セッションで、後半はニューポート・ジャズ・フェスティヴァルのライブ録音です。レコードではA面とB面に分かれていましたが、つないで聴いても違和感がないのはカークのコンセプチュアル・コンティニュイティーです。

 スタジオ・セッションでは、スティーヴィー・ワンダーの「マイ・シェリー・アムール」、アレサ・フランクリンの代表曲として知られるバート・バカラックの「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」がカバーされています。後者にはコルトレーンの「至上の愛」も出てきます。

 さらに表題曲にはビートルズの「ヘイ・ジュード」が登場します。ライブ録音の方でもコルトレーンのトリビュートとして3曲がメドレーで演奏されています。こんなところにも、芸能的な色彩が強くて猥雑感がてんこ盛りなことが分かります。

 カークはテナー・サックス、ソプラノ・サックスを変形したマンゼロ、アルト・サックスの改造と思われるストリッチ、フルート、ソプラノ・リコーダーの改造版ノーズ・フルートを吹きまくっています。吹きながら声も出せば、同時に何本も吹いたりする。

 しかもどの楽器の音も力強くて太い。息継ぎもいつしているのかと思われるくらいですし、聴いているこちらも息が出来なくなる圧倒的な迫力です。汗やら何やらが飛び散るぐしゃぐしゃでどろどろの演奏が繰り広げられます。

 「アレサ・フランクリンからコルトレーンまで、全てを昇華した熱狂的なライヴ演奏」との宣伝文句がまるでサウンドの迫力に追いついていません。「自らの感情を赤裸々なまでに吐露した」もまるでサウンドを表現できていません。

 カークのサウンドは地べたを這いまわっているからこそ昇天することが出来るサウンドです。自らの感情など小さいことです。カークのプレイは地球を持ち上げて揺さぶっているような大いなるものとの邂逅が結実したものだと言えます。

 「アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー」は直前に暗殺されたキング牧師への追悼となっています。そこに「至上の愛」の引用。ゴスペル・コーラスがこれほど似合うサウンドも珍しい。混沌としたエネルギーに満ちた傑作だと思います。

Volunteered Slavery / Roland Kirk (1969 Atlantic)