このジャケットを見て、アメリカのバンドによるアルバムだと思う人はほとんどいないことでしょう。カンボジアのバッタンバン出身の歌手チョム・ニモルの髪型もイヤリングもカンボジアそのものですし、何よりもこのデザインです。カンボジアでもレトロな感覚です。

 デング・フィーバーの二枚目の作品は、「エスケープ・フロム・ドラゴン・ハウス」と名付けられました。ドラゴン・ハウスはロング・ビーチのカンボジア人街リトル・プノンペンにあるバンド演奏もあるレストランです。ここでデング・フィーバーは演奏していました。

 ライナーを書いているマーティン・ウォンによれば、ドラゴンハウスは古ぼけたクラブですが、デング・フィーバーが演奏するや否や、地球上で最もクールな場所に変わるのだそうです。言い過ぎですが、大たいの雰囲気は分かります。

 ドラゴン・ハウスからのエスケープ、同名曲もありますが歌詞が全く分かりません。そこで推測するに、カンボジア歌謡をベースとしつつも独自路線を強めるのだという意思表示ではないでしょうか。言い換えればオリジナルを演奏するぞということです。

 デビュー作ではオリジナルは2曲のみでしたが、本作品では逆にカバー曲が1曲のみです。さらに大きく違うのは英語で歌った歌が含まれるということです。これまではオリジナルでもわざわざクメール語に訳していましたが、ここではストレートに英語もあります。

 カバー曲は「ティップ・マイ・カヌー」で、カンボジア歌謡を代表するルス・セレイソティアとシン・シサモットのデュエット曲です。これをニモルとザック・ホルツマンがデュエットしています。カンボジア歌謡の中でもモダンな生きのいい楽曲です。

 劇的な「タランチュラの千の涙」から、ニモルの英語が可愛らしい「メイド・オブ・スティーム」やらインストゥルメンタルの「レイク・ドロレス」、ザックのラップからのボーカルによる「サラン・ラップ」、アコースティックな「ハミングバード」とオリジナルは多彩な楽曲揃いです。

 こうしてカバー曲でなくオリジナルで勝負するとなると、カンボジア歌謡らしさはどこにあるかと言えば、ホルツマン兄弟のオルガンとギターを中心とするメロディー・ラインもそうは言えるのですが、やはりニモルの歌によるところが大きいです。

 どうしてホルツマン兄弟が歌手の発掘に真剣になっていたのかが分かるというものです。ニモル一家はカンボジアのジャクソンズとはいかないまでも、しっかりした音楽一家だったそうで、彼女は界隈ではすでにスターでした。ですから、その歌は完成品です。

 幽霊の声ともいわれる歌声は野郎どもの飄々としたガレージ・ロックに艶と深みを添えて異次元に誘導しています。リズム・セクションともオルガンともギターとも相性がいいですし、ロックの世界に一歩踏み出しても実に堂々としていて素敵です。

 デング・フィーバーの活躍は米国のカンボジア社会のみならず、カンボジア本国でもポル・ポト時代に弾圧されてしまった豊かな歌謡世界に目を向けるきっかけとなりました。ホルツマン兄弟の仕事はその意味でも立派です。

Escape from Dragon House / Dengue Fever (2005 M80)