モノクローム・セットの音楽はベンチャーズとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを足して二で割ったようだと評したのはかのポップ・アートの巨人アンディー・ウォーホールです。この言葉はこの作品のオリジナル・ジャケットの裏面に記載されていました。

 彼らの音楽を高く評価する言葉の数々が記載されていて、日本からは「音楽専科」の記事が引用されています。大変懐かしいです。モノクローム・セットは商業的には成功したとは言い難いですが、こうしてアーティストや評論家に愛されていました。

 後に、彼らの音楽から影響を受けたと告白するミュージシャンも数多く、その代表がザ・スミスのモリッシーとジョニー・マー、それにフランツ・フェルディナンドです。そんなバンドなればこそ、何度もアルバムが再発されるというものです。

 しかし、前作、前々作とヒットに結びつかなかったために、OMDやマーサ&ザ・マフィンズなどでヒットを経験してしまったディンディスクとの関係は悪化してしまいます。ヴァージン傘下ですが、ヴァージンも昔のインディーズ時代とはまるで異なる商業路線ですし。

 たもとを分かったモノクローム・セットは英国でタキシードムーンやレジデンツなど米国西海岸のユニークなアーティストを扱っていたPREレコードでシングル盤を出した後、アルバムを出してくれるレーベル探しを始めました。

 インディーズのリストを手に入れて、Aから順番に電話を掛けるという原始的な方法で、Cまで来たところでチェリー・レッドと話がつきました。そんな経緯とは露知らず。レーベルの名物コンピ「ピロウズ&プレイヤーズ」に彼らの曲を見つけた時はぴったりだと思ったものでした。

 こういう時期には得てして起こりがちですが、ドラムのヘイニーはニューヨークに行ってしまい、後任にはレキシントン・クレインが加入します。さらにレスター・スクウェアことトム・ハーディーは教師の勉強が忙しくてバンド活動は疎かになっていきました。

 というわけで本作はビッドとベースのアンディ・ウォレンの二人が中心になっていきます。二人で作ったデモを発展させた「ジェット・セット・フンタ」はフォークランド紛争を描いていると言いがかりをつけられて一時放送禁止になっています。ポップな彼らの代表曲ですが。

 「ジェット・セット・フンタ」を冒頭に持ってきた3枚目のアルバムでは、彼らのギター・サウンドはよりシンプルで軽やかになりました。ビッドの描く世界もさらに諧謔味が増し、飄々としたアイロニーに磨きがかかってきました。

 大たい曲のタイトルも「僕が泣く」ならぬ「アイル・スクライ・インステッド」とか、「クラウド9」ではなく「クラウド10」、そして「グレート・バリアー・リフ」なんてにやりとするしかないでしょう。私はスクライなんていう単語を初めて見ました。水晶で占うっていう意味らしいです。

 流れるようなメロディー・ラインでクレバーな歌詞を歌うという、どこからどうみてもブリティッシュ全開です。上質のブリティッシュ・ポップの系譜を正しく受け継いだバンドだと思うのですが、なぜ売れないのか。やっぱりこの作品もチャートとは無縁でした。かっこいいのに。

Eligible Bachelors / The Monochrome Set (1982 Cherry Red)