「人類零年」です。陰鬱なシンセ・ポップを操るヒューマン・リーグのデビュー作品に付けられた邦題は、機械による新しい音楽の到来を告げているのでしょうが、新生児を踏みつける悪魔的なジャケットのイメージにも引きずられていたに違いありません。

 めでたく紙ジャケットで再発とあいなっこの作品を久しぶりに手にとって一番驚いたのは、山田順一氏のライナーノーツで、メンバーによるジャケットが「ガラス張りのダンス・フロアには幸せいっぱいの赤ちゃんがたくさんいる、というのがコンセプトだった」と知ったことです。

 「未来ある子供たちを踏みつけているようにも見えるとも懸念され、メンバーは変更も考えたようだが」、そのまま発表されたと。いや、これはどう見ても幸せジャケットじゃないでしょう。懸念された通りですし、その誤解がむしろバンド・イメージに貢献しました。

 ヒューマン・リーグはイギリスの典型的工業都市シェフィールドで誕生したバンドです。シンセを買ったマーティン・ウェアとイアン・マーシュの二人が演奏活動を始めたのがきっかけで、当初は後にクロックDVAとなるアディ・ニュートンとのトリオでした。

 その後、アディが脱退すると学生時代の友人フィル・オーキーが入り、さらにスライドとフィルム、すなわち視覚効果担当のフィリップ・ライトを加えた4人組となりました。音楽三人はみんなシンセとボーカルだけです。これが新しかった。

 インディーズ・デビューを果たしたバンドはヴァージン・レコードと契約を結び、このファースト・アルバム制作と相成りました。誤解していましたが、彼らはシンセポップとしては元祖に近い位置にいます。ゲイリー・ニューマンの「カーズ」とほぼ同時期のシンセ・サウンドです。

 インディーズからの12インチを聴くと、まるでタンジェリン・ドリームやクラフトワーク的なサウンドを展開していて、このアルバムとの落差は結構大きいです。ヴァージンは商業的な成功に懐疑的で、現場に介入してきたそうですから、いろいろとあったことでしょう。

 結果的にこの作品は重苦しい雰囲気ではありますが、クラウト・ロックのプログレ的な感覚からは離れ、かなりポップ・ミュージックのフォーマットに沿ったサウンドに仕上がっています。「プラスチックなテクノ・サウンドに絡みつき拮抗するしたたかなボーカル」が注目です。

 面白いのはフィル・スペクターの「ふられた気持ち」のカバーです。NME誌は「ジョルジオ・モロダーとロネッツの融合」と彼らを評しています。それを素直に納得させるカバーです。ディスコとソウルをシンセで融合する。後に当たり前になりましたが、この頃は新鮮でした。

 今、このサウンドを聴いて、これなら自分にもできると思う人は多いことでしょう。当時はまだシンセが珍しかったですが、普及するにつれて、多くの素人に勇気を与えていくことになったと思います。録音もまだ不慣れで素人っぽいですし。

 勢いよく突っ走るだけが若さではありません。このシンセ・サウンドは若さゆえに出来ることです。シンセ=プログレの観念からは全く自由にシンセだけでポップな展開を図った柔軟性がこのアルバムの評価を高めました。商業的にもブレイク後に報われました。

Reproduction / The Human League (1979 Virgin)