それにつけても「シバの女王」です。レイモン・ルフェーブルの「シバの女王」はインストゥルメンタル曲であるにもかかわらず、シングル・カットされて日本で大ヒットしました。オリコン・チャートでの最高位は26位とそこそこですが、そのロング・セラーぶりが凄いです。
 
 1969年2月に発売されたこの曲は110週にわたって連続トップ100入りをしています。これは1976年に杉良太郎の「すきま風」に抜かれるまで最長記録となっていました。その後、これを上回る曲はいくつか出てきていますが、それにしても恐ろしい記録です。
 
 この曲はミシェル・ローランのシャンソンをレイモン・ルフェーブルがオーケストラに編曲したものです。当のフランスではローラン版は奇しくも26位どまりで、大してヒットしたわけではありません。日本が特異点となっているわけです。
 
 今やAIによるヒット曲の解析が進んでいます。日本人の琴線に触れる楽曲ということならば、まずこの「シバの女王」を分析させてみるべきでしょう。題名を知らなくとも、まるで聴いたことがなくても、これを聴かせれば日本人かどうか分かるというものです。
 
 レイモン・ルフェーブルは1929年生まれのフランス人で、パリ音楽院を卒業後フランク・プゥルセルのオーケストラに参加して以降、いわゆるイージー・リスニングの世界に入りました。その後、27歳で大手バークレーと契約し、自らのオーケストラを結成します。
 
 ポール・モーリアも同じバークレーで、二人は仲が良かったそうです。ここにプゥルセル、カラベリを加えるとフランスのイージー・リスニングの巨匠が揃います。彼らのサウンドはシャンソンやフレンチ・ポップスと極めて相性がいいですから、フランスならではなんでしょう。
 
 ルフェーヴルは1965年から「パルマレス・デ・シャンソン」という音楽番組に自身のオーケストラで活躍し、人気を博します。本作品はこの音楽番組のタイトルを冠したもので、フランスでのオリジナル・ジャケットで紙ジャケ再発されたものです。
 
 ルフェ―ヴル・オーケストラの数多くのアーカイヴの一つで、どれか一枚となるとやはり「シバの女王」が含まれているこの作品にとどめを刺します。日本人ですから。他にはスコット・マッケ
ンジーの「花のサンフランシスコ」からロドリゴの「恋のアランフェス」まで幅広い選曲。
 
 ルフェ―ヴルはポール・モーリアに比べると弦楽器が強すぎると言われることがあります。それでも日本での人気は高く、1972年の初来日を皮切りに何度も来日します。1978年には全国で44回ものコンサートを開くほどです。チケットは即日完売。大人気です。
 
 ファンとともに小旅行を楽しむこともあったそうです。知人にポール・モーリアのおっかけをしていた女性がいましたけれども、そのエピソードを聞く限り、極めて健全なほのぼのした追っかけが成立していたのだなと何だか感動しました。
 
 それにつけても「シバの女王」です。グラシェラ・スサーナのボーカル入りバージョンもありますが、やはりルフェ―ヴルのきつめのストリングスによるサウンドがいいです。大和民族とは何かなんていう大仰な話まで考えてしまいました。
 
Palmares Des Chansons No.5 / Raymond Lefevre et son Orchestre  (1967 Barclay)