ボサノバ調の「カリオカ」は名曲でした。日なたの匂いのする落ち着いたサウンドはとてもお洒落に感じて、12インチ・シングルをお洒落とは程遠い狭い下宿で何度も聴いていたものです。リオデジャネイロというちょうどいい加減な異国への憧れを掻き立てられます。

 ブルー・ロンド・ア・ラ・タークはニュー・ウェイブ時代の英国で盛り上がったファンカラティーナの創始者であると言ってもよいバンドです。中心人物はボーカルのクリス・サリヴァンで、彼がまるで荒野の七人のユル・ブリンナーのようにメンバーを集めて結成しました。

 彼の述懐が面白いです。70年代の前半にはソウルで踊るクラブに入り浸っていて、その後ファンクで踊りながらもパンクへと卒業し、それが下火になるとかつてのボウイやロキシーへの憧れも思い出してスーツでドレス・アップして再びクラブに向かったというのです。

 結局はファンクでありソウルなんですが、間にパンクを挟むことで同じ音楽でも見方が変わり、さらに深層には英国伝統のグラムが横たわっていた。当時の英国の若者たちの音楽への態度をを見事に代表するクリスです。

 クリスはジェイムス・チャンスに感銘を受け、ラテン、アフロ、ファンク、ジャズを全てミックスしたような音楽をやることを決意します。素人でしたけど。まずはマネージャーを決め、次にまだ実体のないバンドにデイヴ・ブルーベック作曲のスタンダード曲の題名をつけます。

 全くのコンセプト先行で、次々にダンス仲間に声を掛け、楽器が出来て、趣旨に賛同する人を集めました。素人ばかりでしたが、ここにブラジルからジェラルド・ダービリーとキト・ポンチオーニのリズム・セクションが参加して、ようやくバンドらしくなります。

 揃ったメンバーは練習を積んで、ライブを重ねていきます。ドミノに興じる高齢者の前だろうが、客が6人しかいなかろうと、王様気分で演奏していた彼らのライブは評判を呼び、後にシャーデーが絶賛するに至ります。そしてライブに訪れたリチャード・ブランソンをKOします。

 ヴァージンと契約した彼らはシングルを発表してそこそこ評判となりますが、ブレイクしそうでしないもどかしい状況が続きます。トップ・オブ・ザ・ポップスの出番を逃したとか、レコードのプレスが遅れたとかいろいろ愚痴っていますから、とにかくもどかしかったんでしょう。

 デビュー・アルバムがこの「踊れば天国アイ・アイ・アイ」ととほほな邦題をつけられた作品です。プロデュースはブロンディーを手掛けたマイク・チャップマン。クリスの意図通りのミクスチャーなサウンドが気持ち良く展開していて、なかなか心地よいアルバムです。

 しかし、結局大化けすることはなく、しびれを切らしたマーク・ライリー他数名が脱退して、マット・ビアンコを結成、こちらは大ヒットを飛ばします。残ったメンバーはセカンド・アルバムを制作しますが、まるで当たらず、結局解散してしまいました。

 この路線を行くにはやはり音楽的熟練が不足していました。本作は2014年に再発され、その際に添付されたボーナス・ディスクにはメンバー他による新たなリミックスが収録されました。これがいいんです。本人たちにとっても自信作です。歳をとるのも良い事でありました。

Chewing The Fat / Blue Rondo A La Turk (1982 Virgin)