あまりと言えばあまりな気がする邦題です。ちゃんとタイトルがあるのに、日本ではセルフ・タイトル・アルバムになっています。これはクレイジー・ホース出現に沸き立つ日本のレコード会社ということと解釈したくなります。知らんけど。

 ニール・ヤングは前作発表からわずか2か月後の1969年1月に早くもスタジオ入りしました。そして、それからわずか4か月でアルバム発表です。前者はそれほどでもありませんが、後者のわずか4か月には驚かされます。

 しかし、ほとんどスタジオでライブ録りされたそうですから、それも頷けます。ニール・ヤングはクレイジー・ホースと出会い、よほど嬉しかったんだろうと思います。それがこの短期間でのアルバム発表に繋がったのでしょう。

 クレイジー・ホースはギターのダニー・ウィッテン、ドラムのラルフ・モリーナ、ベースのビリー・タルボットのトリオです。元はダニー&ザ・メモリーズで、それがザ・ロケッツとなり、ウィスキー・ア・ゴーゴーでヤングに見初められてクレイジー・ホースと命名されました。

 ダニー&ザ・メモリーズはドゥー・ワップ・スタイルで「ダンス天国」を歌うようなバンドでした。ダニーはニール・ヤングにとっては最初期のメンターであり、大いに影響を与えました。「ビージーズの深いビブラートとカリフォルニアの魂と哀歌を持っていた」人です。

 ラルフは「自分は感覚的なドラマーだし、ニールも感覚的なタイプのギタリストだし、音楽はフィーリングなんだ。彼のエモーションが僕たちのそれを引き出し、また逆もしかり、そうやってうまくいったんだ」と語っています。ぴったりだということはよく分かります。

 早々に完成したこの作品は、前作とは大いに異なるサウンドです。二本のギターとベースにドラムという編成でシンプルで荒々しいロック・サウンドが飛び出してきます。弦楽四重奏曲はありません。いかにもニール・ヤングのグランジ面のサウンドです。

 どっしりしたリズム・セクションに二本のギターがぶきぶきと絡み合いながら鳴り響くさまは、私はCCRなどを一瞬思い出してしまいました。土臭くて豪快なサウンドです。「ダウン・バイ・ザ・リヴァー」や「カウガール・イン・ザ・サンド」など約10分の長尺でのギターの凄いこと。

 ゲストは二人だけ、カントリー・タッチの「ラウンド・アンド・ラウンド」には女性ロッカーのロビン・レイン、「ランニング・ドライ」にはボビー・ノットコフのバイオリンがフィーチャーされています。このバイオリンは弦楽四重奏的ではなく、まるで泣きのギターのようです。

 モビー・グレイプのピーター・ルイスはヤングの家で本作を聴かされた時に、「これはおまえを偉大なロック・スターにするぞ、マン。だって、おまえはついに探していたサウンドを見つけたんだから」とヤングに言ったそうです。ジャック・ニッチェじゃないサウンドを、です。

 本作は、最終的には全米34位とそこそこのヒットとなりましたが、ニールは前作と本作があまり売れなかったことに満足できませんでした。それもあって、この後、ニールは一旦スーパー・グループ、CSN&Yに参加することになります。良いアルバムなんですけれどもね。

参照:"Neil Young : Heart of Gold" Harvey Kubernik

Everybody Knows This Is Nowhere / Neil Young with Crazy Horse (1969 Reprise)