ニール・ヤングのソロ・デビュー作品です。少々ゴッホが入ったヤングの絵が描かれたジャケットには文字が一切入っていませんから、セルフ・タイトルと解釈されています。ヤングはこの時23歳、若い若い。

 1945年にトロントで生まれたニール・ヤングは1966年に音楽のキャリアを追及するためにロサンゼルスに移ってきました。その地でスティーヴン・スティルスらとともにバッファロー・スプリングスフィールドを結成して、頭角を現します。

 しかし、バンドは長続きすることはなく、わずか2年ほどで解散します。ヤングはロサンゼルスからトパンガ・キャニオンなるカリフォルニアの田舎に引っ越すと、すぐさまソロ・アルバムの制作にかかりました。

 トパンガでたまたま知り合ったデヴィッド・ブリッグスをプロデューサーに迎えますが、ヤングによれば彼もほとんどレコード制作の知識はなかったそうです。それでもブリッグスは1995年に亡くなるまでヤングのレコーディングに係わりますから絶大な信頼です。

 それではどうしたかというと、バッファロー時代からヤングの才能に惚れ込んでいた大物作曲家ジャック・ニッチェが全面的にサポートしました。レコード会社とのソロ契約もジャックがヤングをリプリーズ・レコードと引き合わせて実現しています。

 なお、当時のリプリーズはキャプテン・ビーフハートやザ・ファッグスなどのサイケデリックなバンドとも契約していましたから、ヤングなどはまだまともな方だったでしょうし、やりたいことが比較的自由にできる環境だったと思われます。

 ヤングはニッチェにブリッグスとともにハリウッドのスタジオに通い、ジミー・メッシーナやライ・クーダーなど名の通ったセッション・ミュージシャンとセッションを行い、とにもかくにもファースト・アルバムが完成しました。

 1970年代の初め頃、日本ではニール・ヤングと言えばボブ・ディランと並んでフォークのイメージが強かったですけれども、このデビュー作には多彩な音楽が詰め込まれています。さすがはリック・ジェームズとバンドを組んでモータウンからデビューしそうになった人です。

 いきなりインストゥルメンタル曲「エンペラー・オブ・ワイオミング」で始まりますし、ニッチェによる弦楽四重奏曲もあれば、後にデヴィッド・ボウイがカバーするTレックスのような曲もあります。そういえばグロリア・ジョーンズも本作にコーラスで参加しているのでした。

 アルバムはチャートインしませんでしたが、アコギの弾き語りで9分以上歌う「ラスト・トリップ・トゥ・タルサ」とヤングも大好きだという「ザ・ローナー」は盛んにラジオで流れたそうです。ヤング自身が言う通り、とても「パーソナルなアルバム」で、いぶし銀のように輝いています。

 なお、アルバムはステレオとモノラルのコンパーティブル・システムが適用されたせいでボーカルがほとんど聴こえないというとんでもない結果となったため、翌年リミックスされて再発されました。デビュー作から「あの馬鹿どもに激怒した」ヤングさんでした。

参照:"Neil Young : Heart of Gold" Harvey Kubernik

Neil Young / Neil Young (1968 Reprise)