須山公美子はどういう人か一言で説明するにはどうすればよいか考えてみたところ、きちんとしたPHEW、お嬢様な戸川純、女性版あがた森魚なんていう言葉に思い至りました。しかし、この人々をご存じならば、彼女のこともご存じのはずではないでしょうか。徒労でした。

 須山公美子は変身キリンなどで活動した後、ソロになり、「アルバイトをして貯めたお金で4曲入り17センチ・シングル『虫の時』を自主制作」しました。自身のレーベルMOONからの発表です。まだ大学生の頃です。

 私が初めて聴いた須山公美子は、「それなりに話題にもなり、ぼちぼち売れた」、このシングルでした。ピアノとボーカルのみのシンプルで、いかにも自主制作の匂いがするサウンドは、濃厚な密度で神々しいまでに輝いていました。

 その後、関西でかげろうレコードと並ぶ自主制作レーベルの雄、ゼロ・レコードの創設者、平川晋に声を掛けられて、このアルバムが制作されることになりました。今回は須山の大学時代の音楽仲間がバックアップしています。

 マンドリンの迎良久はかげろうレコードから作品を発表していたヴィオラ・リネアのメンバーでもあり、「ロック界の小椋佳をめざす」と公言していたそうです。彼以外のメンバーは、これが初めてかつ最後の録音になりました。

 関西の大学には学生の自治組織や学園祭の実行委員会等を拠点に、パンク/ニュー・ウェイブに触発されたオリジナルな音楽を奏する一派が存在しました。その中にはINUやザ・スターリンのメンバーになったり、かげろうレコードを創設したりする人もいました。

 須山もその一人です。普通に就職させたかったご両親が、音楽業界の方を連れてきて、須山に思いとどまるよう説得してもらおうとしたところ、「虫の時」を聴いたその方が「経済的に可能なら、好きなようにさせてあげなさい」と逆に説得してくれたのだそうです。

 ともあれ、太陽サイドと月サイドに分かれたアルバムが完成します。「虫の時」のエリック・サティと大正歌謡が合体したような不器用だけれども鮮烈なサウンドから比べると、随分とゴージャスになりました。さすがに、一人で自主制作するのとはわけが違います。

 サーカスも来れば、アラビアの夜もあり、中国には恋人もいる。午後は憂鬱だけれども、冬の陽差しもある太陽サイドに対して、月サイドでは老娼婦が死にますし、実の兄を愛した花嫁が身投げをするという、まるで美輪明宏の世界が展開します。

 こんな世界を須山は清く正しい歌声で描いていきます。須山自身はピアノやアコーディオンなどを奏で、大学仲間はドラムやベースにギターと王道ロック・バンド仕様ながら、まるでバンドらしくないシンプルな演奏で須山の歌を支える役割に徹しています。

 この中の「ダンス」はフランスでも紹介されました。ゼロ・レコードからは少年ナイフが世界に羽ばたきましたが、須山公美子の世界もアルバム・タイトルに見られるようにフランスとは相性が良さそうです。意識しないジャポニズムが麗しいです。

お詫び:長らく名前を誤入力しておりました。ご指摘を受けて訂正いたしました。須山さん、申し訳ありませんでした。

Les Chansons Qui Filent Du Rêve... / Suyama Kumiko (1984 Zero)