アシャンティ王国は17世紀から19世紀にかけてガーナの内陸部に栄えた王国です。奴隷貿易によって繁栄しましたが、結局は英国に併合されてしまいました。アフリカにもあった誇り高い王国の歴史はあまり知られていないのが残念です。

 そのアシャンティ族に、「病は欠けゆく月を伴い、新月は病を治癒する」ということわざがあります。この作品は、そのことわざからタイトルのインスピレーションを得ています。「魂の夢と戯れる新月の娘」カサンドラ・ウィルソンは病を治す巫女のようです。

 カサンドラ・ウィルソンはアメリカのジャズ・シンガーです。デビューは1980年代の初めだそうですけれども、日本で有名になったのは、ブルーノートに移籍して第二弾となるこのアルバムからだと言ってよいでしょう。

 ジャズですからチャート・アクションはさほどではありませんけれども、本作品はグラミー賞の最優秀ジャズ・ボーカル・アルバムに選ばれています。グラミー賞をとると注目度が俄然高まりますから日本でも一気に火が付きました。

 しかし、本作品は日本盤が世界に先駆けて発売されているほどですから、その下地は十分にありました。ブルーノート第一弾となる前作「ブルー・ライト」も傑作でした。久しぶりの大型ジャズ・ボーカリストとして期待が高まっていました。

 この作品は期待に違わぬ素晴らしい出来上がりです。ブラック・ミュージックに造詣の深いピーター・バラカン氏は「この音楽のオーサムさに叶う文章を書くことは、少なくとも僕にはできない」と興奮しながら語っています。

 「これはいつ、どこで作られたかとか、どんなジャンルのものかとか、とりあえず身震いが止まるまでは考えたくもない」。最高級の褒め言葉です。私も100%同意いたします。この作品を耳にした時の興奮は今でも覚えています。彼女の作品の中でもやはり特別です。

 ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」に始まり、U2の「恋は盲目」、サン・ハウスの「デス・レター」、ホーギー・カーマイケルの「スカイラーク」、ハンク・ウィリアムスの「泣きたいほどの淋しさだ」、モンキーズの「恋の終列車」にニール・ヤングの「ハーヴェスト・ムーン」。

 秀逸なカバーとオリジナル曲の絶妙のブレンド、キーボードを極力排した身震いするような演奏をバックにカサンドラの低音ボーカルが美しい。冒頭の「奇妙な果実」と続く「恋は盲目」でもういけません。病を治してくれるどころか、沼にずぶずぶと引き込まれてしまいそうです。

 しかし、ジャケットに写るカサンドラは水によって清められる巫女のイメージです。しかもニュー・ムーンの夜明けの雰囲気です。アルバムのサウンドはすべてがこの時期に収斂しています。アルバムを聴き終わる頃には結局再生しているという寸法です。

 基本的にはアコースティックなサウンドが見事な録音によって瑞々しい姿を湛えています。バラカン氏の言う通り、この音楽の前で言葉は無力です。何度も何度も繰り返し聴いてはその都度発見のある素晴らしいアルバムだと思います。

New Moon Daughter / Cassandra Wilson (1996 Blue Note)