若者にとって失恋は重大な事件です。愛する人に拒絶されることで、深い孤独感に襲われ、絶望に打ちひしがれることになります。ですから、30歳になるかならないかの若者が、失恋に触発されて、重苦しい曲を作ってしまったとして何を責めることがあるでしょうか。

 失恋を題材にした連作詩が書かれ、それに触発されてピアノ曲が出来上がる。これで当人が弾き語りで歌えば、これはもうポピュラー音楽では王道のスタイルです。ボブ・ディランかニール・ヤングか、ピアノにこだわればキャロル・キングかトム・ウェイツか。

 しかし、クラシックの世界では弾き語りはポピュラーではない模様です。ボーカルはボーカルで、ピアノはピアノでと分業体制がとられています。ぜひシューベルト本人による弾き語りが聴いてみたかったところですが。

 ともあれ、詩を書いたヴィルヘルム・ミュラーも曲を書いたフランツ・シューベルトも当時ようやく30歳になったかならないかでした。それぞれ32歳、31歳で亡くなってしまいますから、この若さにして最晩年の作品なのですが、若者の作品であることは間違いありません。

 「冬の旅」は二部からなる連作歌曲です。リートと呼ばれるドイツの芸術的歌曲の代表的な作品でもあります。本作はシューベルトを歌わせると右に出るものがいないディートリヒ・フィッシャー=ディースカウで、ピアノを弾いているのはジェラルド・ムーアです。

 このコンビは何度も「冬の旅」を録音していますから、よほど相性がよいのでしょう。これは1972年にドイツ・グラモフォンに残された音源です。ディートリヒは47歳、ジェラルドは73歳。曲作りコンビとは大きく歳の差が開いています。

 レナード・コーエン・シングス・ボブ・ディランとでも観念しておけばよさそうです。若者の楽曲を齢を重ねて人生の厚みを知り尽くした大人が歌う。これだけでさまざまな事柄が想起されてきます。味のある演奏であることが保証されたも同然です。

 ミュラーは「冬の旅」を二回に分けて発表しており、シューベルトも第二部の存在に気がついて、あわてて後半部分を制作したそうです。これまたポピュラー音楽的な展開です。勢い、微妙に一部と二部で少し表情が異なります。

 全24曲の中で最も有名な曲は「菩提樹」です。シングル・カットされてミリオンセラーとなった楽曲だと言えます。しかし、そういう楽曲の常としてアルバムの中では異質なトラックになっています。全体はずるずると足取りが重くて暗い雰囲気です。

 このずぶずぶとめりはりのない音楽がなかなか素晴らしいです。若者の情けない姿が否が応でも描き出されていて秀逸です。シューベルトとミュラーが現代に生きていたら、ソング・ライティング・チームとして人気を博したことでしょう。

 フィッシャー=ディースカウの若々しい声とムーアの枯れたピアノもまた得難いコンビです。バリトンによる歌声は抑え気味ではありますが朗々と響きます。クラシック的な重苦しさは極めて重厚な表現になります。救いのない失恋です。

Schubert : Winterreise / Dietrich Fischer-Dieskau (1972 Deutsche Grammophon)