オリジナル・ジャケットは洗面所のシンクに血が流れている場面をとてもお洒落に描いた写真が使われていました。しかも、当時、ニューヨークでダンス・オリエンティッドな新興レーベル、ZEレコードからの発売。これがあのスーサイドなのかと半信半疑でした。

 デビュー作は噂には聞いていたものの、激レア商品だったために手に入らず。当時はネットもないため、音源を聴いたこともなく、妄想ばかりが膨らんでいたところに、この作品が登場したわけですから、戸惑いも半端なかったことはご想像頂けるでしょうか。

 しかも、プロデュースはカーズのリック・オケイセックです。スーサイドとカーズの出会いはカーズのデビュー・アルバムが出る前に遡ります。ボストンのクラブにリックが会いに来たのだそうで、ポップ・スターには珍しい奴だ、と意気投合したのだそうです。

 リックはまずスーサイドのシングル「ドリーム・ベイビー・ドリーム」をプロデュースします。それを買い取ったZEレコードのマイケル・ジルカはアルバムもリックにプロデュースしてもらうべきだと考えます。リックもプロデュースしたがっていたそうですから話は早い。

 制作はこれまた大メジャーなニューヨークのパワー・ステーション・スタジオです。スタジオではブルース・スプリングスティーンが一緒だったということです。ブルースとは仲良しになり、彼は「ドリーム・ベイビー・ドリーム」をカバーするに至ります。

 その結果として発表されたのがこの作品です。ファースト同様にタイトルがないので、通称「セカンド・アルバム」ないしは「アラン・ヴェガ・マーティン・レヴ」と呼ばれています。後者はオリジナル・ジャケット表面に記載があったからということです。

 前作に比べると格段にマイルドになりました。ぺらんぺらんの電子音はそのままですけれども、確実にサウンドは整理されて耳に優しくなりました。いかにもZEレコードからの発表らしく、ダンサブルなリズムに溢れています。

 アラン・ヴェガはエルヴィスの信奉者だということが、ストレートに了解される色っぽいボーカルもまた落ち着いています。しかし、毒が抜かれたわけではありません。耳に優しいだけに深く浸透してきます。「ダイアモンド、ファー・コート、シャンペン」なんて恐ろしすぎます。

 さて、先鋭的なステージで有名なスーサイドはラモーンズと共演した時ですら、ブーイングの嵐の中で、いろいろなものが飛び交う大荒れの様相を呈しました。それにも係わらず、プロデュースした縁から、カーズのコンサートにも出演します。

 カーズのメンバーはもちろん大歓迎だったようですが、観客はそりゃ戸惑ったことでしょう。しかも通常彼らがライヴをしていたような小さな会場ではなく、1万8000人も収容するような大ホールで。ナイフまで飛んできたことがあったそうです。

 そんな米国を尻目に英国では大いに受け、終了後には若者たちに質問攻めに会ったそうです。その中からヘアカット100やソフト・セルが登場します。チープなエレクトロニクスとボーカル。世に出ることを切望する若者に希望を与えるにこれ以上の音楽はありませんでした。

The Second Album / Suicide (1980 ZE)