ジョアン・ラ・バルバラは稀代のサウンド・アーティストです。1947年アメリカ生まれの彼女は人間の声の可能性を極限まで広げました。その自由自在なボーカルは現代音楽畑では数多くの賞に輝いています。

 この作品は1990年にアメリカの現代音楽レーベル、ラヴリー・ミュージックから発表されたもので、過去10年間の作品をコンパイルしたものです。6曲いずれもそのボーカル・サウンドは電気的な処理はなされておらず、すべて素の声となっています。

 彼女の作品に接すると、まずはその多彩な声に驚愕することになります。これも人の声なのか、といちいち驚いてしまいます。それもたった一人の女性の声だと知れば驚きも一入です。まるで声の万華鏡です。

 もちろん伝統的な声楽を修めた彼女ですけれども、そこにとどまらず、イヌイットのボーカルなどからも学んで、新しい技術を開発し続けています。たとえばマルチフォニックス。「いくつかのはっきりしたピッチを同時に歌う」と書いてあります。どういうことなのでしょう。

 ひとわたり驚いてからようやく落ち着いて彼女の音楽に身を委ねることができます。バルバラは作曲家でもあり、パフォーマーでもあり、さらにはアクターでもあります。彼女の作り出す音の世界はテクニックなど横に置いても素晴らしいものです。

 一曲目の「アーバン・トロピックス」はマイアミを音でスケッチした曲です。この曲には、ボーカルの他にカウベルやギロ、マラカスが使われています。さらにオウムと猿の鳴き声も使われている模様です。それでもバルバラの声はパーカッションを中心に多彩なことこの上ない。

 二曲目の「シャドウソング」は心理学に題材をとった作品、三曲目の「タイム」は1984年のロス五輪の期間中に放送された「サウンド・イン・モーション」のために作られた曲で、アスリートの息遣いをモチーフにした作品です。いずれも声だけの多重録音です。

 さらに四曲目の「エリン」はIRAのメンバーだった息子の棺桶を運ぶ父親の写真に着想を得たもの、五曲目の「クレー・アレー」はパウル・クレーの立体的な絵の描き方をサウンドに移し替えて描いてみたということです。

 最後の6曲目は東西対立時代の西ベルリンでの体験をスケッチした曲です。この曲には電子的に再現した機関車、パトカー、航空機の音が少しだけ使われています。しかし、そのことがバルバラのボーカルの凄さを全く損なってはおらず、引き立て役になっています。

 全体を通して、言葉はほとんど使われず、さまざまな音色の声を組み合わせて曲ができています。反復するリズムやドローン的な持続音であったとしても、全く同じ声はありえず、タンパク質が揺れ、アミノ酸が震えているために、そのニュアンスはとても豊かです。

 彼女は、ジョン・ケージを始め、さまざまな現代音楽のアーティストから秋波を送られています。この作品を聴けば共演してみたくもなるでしょう。ボイス・パフォーマンスとしてだけではなく、曲としても圧倒的な完成度です。

Sound Paintings / Joan La Barbara (1990 Lovely Music)