タイトルの意味がよく分かりません。年寄りを震わせるということなのか何なのか。こうした英語のニュアンスは非ネイティブにはとても分かりにくい。初めて見た時からずっと疑問のまま今日に至ります。40年近いですが。

 オールターナティヴTVはデビュー・アルバムを発表した後ツアーに出ます。通常のパンク・サーキットで演奏することに興味を持てなかったマークは、ゴングとの関係で知られるサイケデリック・ロック・ユニット、ヒア&ナウとつるむことにしました。

 もはや新しい曲にしか興味が亡くなったマークは、新たな即興中心の演奏を試みます。その過程でメンバーとの関係にひびが入り、結局、マーク、デニス・バーンズ、ミック・リネハンのトリオになってしまいます。

 それでも信念を貫き通して難産の上で生まれてきたのがこの作品です。最小限の演奏に乗せて、マークが歌うというよりも、詩を語るアルバムは、前作とは大きく異なる、とてもアートな雰囲気をもったアルバムになりました。

 アヴァンギャルドな異色作ですが、マークはこの作品でやったことを「信じられないくらい誇りに思っている」と語っています。自分の人生を赤裸々に描いた作品で、「みんなは私の正直さを評価してくれると思っていた」そうです。

 しかし、「ポップなパンクの居心地の良さを選好する多くの人は」このアルバムを拒否しました。「パンクはロックの死となるはずだったのに、新しいロックに成り下がってしまった」とマークが嘆くのも分かります。

 「自分たちは全てをそぎ落とした。ロックの影響はどこにもないし、この作品はむしろパフォーマンス・アートだ」とマークは語ります。音楽的でないところに味があるマークのボーカルと音数を抑えたタイトな演奏が絡み合って独特の世界を形成しています。

 こうなると、同時代としてはPILの「メタル・ボックス」と雰囲気が似てくるはずなのですが、こちらはよりフリー・ジャズ的であり、非音楽的です。むしろ、本作に参加しているジェネシス・P・オーリッジのユニット、スロッビング・グリッスルに近いです。

 前作の路線を踏襲していれば、あるいは商業的な成功も得られたかもしれません。しかし、マークはそのことを潔しとしなかった。彼は自分が考えるパンクの精神に極めて従順でした。このピュアなところが彼の最大の魅力です。

 あらゆる因習から自由になることを慫慂したはずのパンクも、すぐに定義され、いわゆるパンクという音楽スタイルが現れてきました。パンク精神を最も貫いたはずのオールターナティヴTVのサウンドがこのスタイルからは全く外れてしまったことは皮肉なことです。

 しかし、私にとってはマークの表現はパンクそのものです。ここには圧倒的に純粋な精神があります。苦悩するパンク男マーク・ペリーは、この作品の批判にさらされましたが、「自分のバンドでやりたいことをやってなにが悪い」とパンク100点で応えました。傑作です。

Vibing Up The Senile Man / Alternative TV (1979 Deptford Fun City)