ディスコとほぼ無縁の私にとって、ディスコとはすなわち「サタデー・ナイト・フィーバー」のことです。後にバブルの象徴として登場するジュリアナにとって代わられるまで、日本ではディスコと言えばこの映画が記号として成り立っていました。

 映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が公開されたのは1977年12月、日本では1978年8月のことでした。日本でもそれ以前にディスコはありましたけれども、一般的なものではなく、この映画のヒットで一気に一般大衆にすそ野が広がった模様です。知らんけど。

 映画を企画したのはRSOレコードの社長でビー・ジーズのマネージャーでもあったロバート・スティグウッドで、映画化が決まったと同時に内容も告げずにビー・ジーズに映画のための音楽を発注したそうです。

 当時、ビー・ジーズは「ジャイヴ・トーキン」を全米1位に送り込むなど、低迷期を抜け出して第三期黄金時代を迎えつつありました。この曲はディスコそのものですから、スティグウッドがディスコ映画を思い立って、ビー・ジーズに音楽を頼むという発想も自然なものです。

 これに応えたビー・ジーズの活躍はすさまじく、「ステイン・アライブ」、「愛はきらめきの中に」、「恋のナイト・フィーヴァー」の三曲で計15週間も全米シングル・チャートを制し、さらにイヴォンヌ・エリマンに提供した「アイ・キャント・ハヴ・ユー」も1位になっています。

 アルバム全体も全世界で4000万枚を売るというモンスター・アルバムとなりました。ビー・ジーズ自身が演奏しているのは6曲、そのうち2曲は既発でともに全米1位を獲得した曲ですし、他のアーティストの曲の方が多いので、ビー・ジーズ作品と言えないところが残念です。

 しかし、ビー・ジーズの代表作と言われればかなりの人がこの作品を挙げるのではないでしょうか。それほどインパクトが大きい作品ですし、ビー・ジーズの才能が存分に開花した作品だといえます。特に「ステイン・アライヴ」など素晴らしすぎます。

 一方、ディスコはもちろん売れ筋ではありましたが、音楽雑誌などでは軽く見られていました。本作品収録のウォルター・マーフィーの「運命’76」やデヴィッド・シャイアーの「はげ山の一夜’77」など、ディスコ調クラシックを聴くと評論家の皆様の鼻白む顔が目に浮かびます。

 この雑食性もまたディスコの大いなる魅力で、ディスコそのもののKCアンド・ザ・サンシャイン・バンドの他に、タヴァレスやクール&ザ・ギャング、MFSBなどのベテラン黒人バンドやカリプソを得意とするラルフ・マクドナルドなどもディスコの旗の下に一つにまとまっています。

 その点では、あえてビー・ジーズの単独作にするのではなく、こうしてディスコそのものを表す、ある意味でのコンセプト・アルバム的な作りにしたのはむしろ慧眼だったのかもしれません。実際、アルバムを聴いていると当時のディスコが目の前に浮かんできます。知らんけど。

 その結果、いかにも時代に張り付いてしまい、魅力の質が変わってきている楽曲に囲まれて、ビー・ジーズ作品のエヴァー・グリーンな時代を超えたメロディー、リズム、歌唱の魅力が際立つことになりました。何でしょう、この文句のつけようのない名曲たちは。

Saturday Night Fever (OST) / Various Artists (1977 RCA)