バッハの「フーガの技法」には楽器指定がありません。驚きです。この弦楽四重奏団の演奏を聴き終えた後で、そんな話を信じろという方が無理です。これはまさに弦楽四重奏のために作曲されたとしか考えられません。ピアノによる演奏を聴けば聴いたでそう思うのでしょうが。

 バッハの晩年の大作「フーガの技法」は、タイトル通りフーガとそのお仲間であるカノンからなる曲集です。音楽理論に詳しくない私でもフーガとカノンは知っています。カノンは「蛙の歌」、フーガは「恋のフーガ」です。

 対位法と言われると途端に厳しくなってしまいますが、フーガやカノンならば聴いても分かります。とはいえ、それもまた曲者で、さすがに「技法」と題されるだけあって、深く理論的な探求がかまびすしいですから、気軽な発言は慎んだ方がよさそうです。

 このアルバムはエマーソン弦楽四重奏団による演奏です。エマーソンと言えば私にはキース・エマーソンですが、もちろんそうではなく、何と詩人のエマーソンから名前が採られているそうです。アートとしての土台は共通ということで、いかにもクラシックらしいエピソードです。

 そのエマーソン四重奏団は1976年にアメリカで結成されました。結成された当初はメンバーの交代もありましたが、1979年以降は同じメンバーで活動しており、2003年の本作品は結成27年目、メンバー固定後でも約四半世紀経過後の作品となります。

 アンサンブルが命の弦楽四重奏において、同じメンバーで四半世紀も活動できるということはそのことだけでこのカルテットの質の高さを証明しているようなものです。このままローリング・ストーンズのように活動し続けてほしいものです。

 エマーソン四重奏団はドイツ・グラモフォンと専属契約を結んでおり、同レーベルから数多くの作品を発表しています。グラミー賞も何度も獲得しており、そのレコーディング作品への評価もかなり高いことが分かります。

 そのグラモフォンが選んだ一枚がこの作品ですから、中でも人気の高いアルバムでなのでしょう。ジャケットも椅子だけで四人の気配を存分に感じられる見事な絵柄ですから、レーベルも相当な力の入れようです。やはり傑作です。

 私には完璧に聴こえます。もはや何も言うことがない。軽やかなリズムで、歌うような演奏には引き込まれます。聴きながら、これぞバッハと偉そうなことの一つも言いたくなってきました。それほど素晴らしい演奏であるということと理解して頂きたい。

 「フーガの技法」はバッハの最晩年の作品で、特に最後の「コントラプンクトゥス14」は未完に終わっています。しかもBACHの名前を基にした主題を挿入したところで死に至ったと、極めてドラマティックなエピソードが残されています。

 曲は明らかに途中で終わっているのですが、そこも含めて忠実に再現することが慣例になっているようで、本作品でもそこは踏襲されています。このバッハに対する尊敬と愛情を表現する行為が、完璧な作品の揺らぎとなっていて、さらに作品の価値を高めています。

Bach : The Art Of Fugue / Emerson String Quartet (2003 Deutsche Grammophon)