フェラ・クティの1975年作品の一つです。今回のジャケットは何ということもない写真ですけれども、女性コーラス陣がリラックスしてステージに集うさまは、まるで町内会の納涼歌合戦のようで、つかの間の平和を謳歌しているのかしらと嬉しくなります。

 フェラのボーカルにも心なしか気楽な調子が混じっているようで、この時期の作品らしくとても充実したものです。次に控えているのが名作中の名作「ゾンビ」ですから、この頃の充実具合が分かるというものです。

 今回もA面とB面に一曲ずつで、トニー・アレンのドラムやオゲネ・コログボのテナー・ギター、ツンデ・ウィリアムスのトランペットなど、総勢20名のバンドによるアフロ・ビート・トラックが収録されています。

 最初の曲「エクスキューズ・オー」は、さまざまな状況に直面した時に喧嘩にならずに済ます方法を提案している曲です。フェラにはともすれば暴力的なイメージが付きまとっていますが、それは当局から一方的にフェラに対して暴力が加えられたからです。

 フェラ自身は自ら暴力をふるうような人ではないことはこの曲を聴いても分かります。酒場で誰かが自分のビールを飲んでしまった時、バスの中で財布をすられた時、デートに誘った女の子を横取りされた時、「勘弁してくれよ!」と。

 フェラはさまざまな場面を楽しそうに語っています。ユーモラスですらあるボーカルが際立っています。自分のクラブ「シュライン」でのデートの場面まで出てくるサービスぶりです。極度に戦闘的なフェラもいいですが、こういうフェラもいいです。

 ところでこの歌のベースによるイントロ部分はファンカデリックの曲を思い起こさせます。もちろん、この曲はファンカの曲のような展開には至らないのですけれども、フェラにもPファンクの影響が及んでいるのではないかと考えるのは楽しいことです。

 B面は何だか訳の分からないタイトルです。「ミスター・グラマチカロジセイショナリズム・イズ・ザ・ボス」。イントロ部分でオルガンのクリスタルな音が印象的なこの曲は、再びビーン・トゥ、すなわち外国かぶれを揶揄する歌です。

 彼らに共通する、ちゃんとした英語をしゃべることができることが頭の良さの証明であり、社会の階段を上ることができると考え方に異を唱えるものです。実際の世の中もそうなってしまっていて、アフリカ諸国のリーダーにも英語が必須になっています。

 こうして西洋諸国の価値観に毒されているのだとフェラは訴えます。新聞には大そうな英単語を使ってもってまわった表現の英語が満ち満ちているけれども、貧しい人々の問題を解決するための記事など一つもない。英語バカこそ怠慢この上ないと。 

 フェラが訴える問題は日本にも当てはまります。A面同様の軽めのホーン陣を配して繰り広げられる、少し肩の力が抜けた演奏が、今回は訴えの強度を高めています。後半の濁ったオルガンの音も素晴らしいです。

Excuse O / Fela Anikulapo Kuti & Afrika 70 (1975 Coconut)