ペネトレイションはデビュー作を成功させると、英国のみならず米国やフランスなどをツアーしてまわります。行く先々でそれなりに評判を呼んで、彼らの前途は洋々のように思われました。そうなると2枚目のアルバムへの期待が高まります。

 ヴァージン・レコードは2作目のプロデューサーにスティーヴ・リリーホワイトを起用します。彼はこの頃スージー&ザ・バンシーズの「香港庭園」のヒットで頭角を現したばかりで、まさにこれから旬の時期を迎えようという時でした。

 ヴァージン・レコードは当時、セックス・ピストルズを獲得して、攻勢に出ていた時でした。米国市場に切り込もうと躍起になっており、傘下のバンドには大きなプレッシャーがかかっていました。ツアーの連続で時間も十分にとれない中でのアルバム制作は難航します。

 それでもアルバムは完成しますけれども、バンド内には不協和音が大きくなり、何よりもポーリン・マレイ自身がわずか23歳にして自身を「オールド・ファート」、すなわち嫌なババアとみなし、アルバム・プロモーション・ツアーにて解散を宣言してしまいました。

 ペネトレイションのギタリストはもともとゲイリー・チャプリンでしたが、「ドント・ディクテイト」発表後に脱退し、ペネトレイションのファンだったというニール・フロイドに交代しています。そこにもう一人フレッド・パーサーが加わっています。

 フレッドは後にヘヴィ・メタル・バンドのタイガーズ・オブ・パン・タンに加入することからも分かるように、パンク的ではないギタリストですから、ファンの間には危惧があったようですし、ニールも心の底では面白くなかった模様です。

 ポーリンはフレッドのギターに惚れ込んでいたようですから、そこは良かったのでしょうけれども、さすがにフランス・ツアーをギター職人ロリー・ギャラガーと一緒に行うことには大変な憤りを感じていたようです。案の定、観客からはブーイングの嵐だったそうです。

 メンバー間の対立はあっても、パンク精神で乗り切れたかもしれませんが、マネジメント・サイドとの確執は、アンチ・パンクそのものですから、ここは本人たちのやる気に直結します。結局、ピュアなパンク集団であったペネトレイションは解散せざるを得なかったのでしょう。

 それにしてはアルバムはなかなかの力作です。前作ほどもヒットはしませんでしたけれども、さすがに実力派ギタリスト二人を擁し、ジュリー・ドリスコールのようだと評されることもあるポーリンのしなやかなボーカルが輝くバンドだけに光る部分が多い。

 スティーヴ・リリーホワイトのプロデュースを得て、よりギターが生々しく響くようになりました。奥行きが深いサウンドです。前作からの延長上にある作品ですが、このままの路線でよいので、もう少し続けていれば商業的にも成功したのではないかと思います。

 ピストルズの影響を受けてデビューを飾り、業界の水に染まることを良しとしないまま、音楽的成熟と裏腹に解散してしまったペネトレイションは、サウンドのみならず、その軌跡そのものがパンクとは何だったのかを雄弁に物語っています。いいバンドでした。

Coming Up For Air / Penetration (1979 Virgin)