英国にとってパンクはどのような現象だったのでしょうか。当時、英国の若者がどのように感じていたのか、同時代に青春を過ごしたとは言え、日本にいるとその空気は良く分からないところがあります。さぞや濃密な空気だったんでしょう。

 このペネトレイションなどは、その空気の中から出てきた典型的なパンクの出自を持ったバンドです。バンドの中心人物ポーリン・マレイは東北イングランド出身です。より正確にはニュー・カッスルの近くのダーハムにある小さな炭鉱の町です。

 1973年、15歳の時にヨーク大学でニューヨーク・ドールズを見て、さらに英国のデカダン・バンド、コックニー・レベルに夢中になったと言います。1976年にセックス・ピストルズが話題になり始めると、さっそくピストルズに会いにロンドンに行ったそうです。

 やがて、ピストルズのマンチェスター、そしてニュー・カッスルでのライヴを見て、刺激を受けた彼女たちはペネトレイションを結成します。このライヴでは多くのバンドが産声を上げていますから、彼女たちもそのうちの一つだったわけです。

 ペネトレイションという名前の由来は、1973年のイギー・ポップ&ストゥージズの名盤「ロウ・パワー」の中の曲のタイトルにあります。そのまんまバンド名にしてしまいました。マンチェスターのファンジンの名前でもあったそうですが。

 彼女たちのライブに目をとめたヴァージン・レコードからシングル2枚のディールを得たペネトレイションは、これを見事に成功させ、いよいよアルバムを発表することになりました。とんとん拍子の活動ぶりです。

 最初のシングルは「ドント・ディクテイト」、「命令するな」という実にパンクな曲です。即座にパンク・クラシックとなりました。二曲目の「ファイヤリング・スクワッド」も高速ビートに乗った素晴らしい曲です。パンクらしい勢いがほとばしっています。

 それに続くアルバム制作のプロデュースにはプログレ・バンドのゴングにいたマイク・ハウレットと多くのニュー・ウェイブ勢を手掛けたミック・グロソップがあたりました。バンドの勢いをそのままに実験的な側面も合わせもつアルバム作りはメンバーにとって楽しいものでした。

 アルバムにはカバー曲が二曲含まれています。「ノスタルジア」は同世代のバズコックスの曲、そして「フリー・マネー」は米国パンクの女王パティ・スミスの名曲です。後者は作者のレニー・ケイがオリジナルよりもこっちの方が好きだと言ったと伝わっています。

 あえてシングル曲を外して勝負した結果は、英国チャートで22位とまずまずの成績を残しました。典型的なパンク・バンドとは言え、ヘタウマというわけではなく、高速ビートに乗せたギター中心のしっかりした演奏は今聴いても新鮮です。

 それにポーリンの密度の濃い声によるボーカルが光ります。肌理の細かい高音の美しい声は丁寧な演奏と相性がとても良く、安心感を持って聴くことができます。しかし、その分、いわゆるパンクらしさに欠けるところがあって、日本ではあまり盛り上がらなかったのが残念です。

Moving Targets / Penetration (1978 Virgin)