スティーヴ・ミラー・バンドが日本で有名になったのは、「鷲の爪」が大ヒットしてからです。その前の「ジョーカー」も話題にはなりましたけれども、とても有名とは言えませんでした。ましてやそれ以前の活動についてはほとんど知られていなかったのではないでしょうか。

 しかし、スティーヴ・ミラー・バンドの成功というよりも、ボズ・スキャッグスが「シルク・ディグリーズ」でブレイクしてから、急にこのバンドの初期の姿が注目を集めました。そうです。この時期、ボズはスティーヴ・ミラー・バンドにいたんです。

 スティーヴ・ミラーは流れ流れてサンフランシスコに辿り着き、いわゆるサマー・オブ・ラブのシーンにて頭角を現します。レコード・デビュー前ながらモンタレー・ポップ・フェスにもブッキングされるなど、新人としては異例の扱いを受けています。

 5歳の頃から伝説のギタリスト、レス・ポールに手ほどきを受けたというギターの腕もさることながら、なかなかマネジメントのセンスに優れていたそうで、キャピトル・レコードと破格の条件で契約にこぎつけ、レコード・デビューに至ります。

 デビュー作が商業的には残念な結果に終わったことから、半年も間をおかずに2作目を発表することになります。それがこの「セイラー」です。捲土重来を期したこの作品は全米チャートにて24位にまで上昇する大ヒットとなり、キャピトルは胸をなでおろしたのでした。

 この当時のメンバーは、スティーヴ・ミラー、放浪中のヨーロッパから呼び戻された旧友ボズ・スキャッグス、大学生活を過ごしたマディソンからドラムのティム・デイヴィスとキーボードのジム・ピーターマン、サンフランシスコからベースのロニー・ターナーの5人です。

 名前はスティーヴ・ミラー・バンドですけれども、リード・ボーカルは4人で分け合っていますし、曲作りもスティーヴが4曲、ボズが2曲、ピーターが1曲、ティムとボズの共作1曲と、ワン・マン・バンドではなかったことが分かります。

 もともとスティーヴ・ミラー・ブルース・バンドと名乗っていたことからも分かるように、基本はブルースに根差した西海岸のロックを展開しています。グレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインを中心にした当時のサンフランシスコ・シーンのど真ん中サウンドです。

 一方、スティーヴは英国のロック・シーンにも大いに興味を持っていたそうで、そもそもプロデューサーにかのジョージ・マーティンを指名しています。残念ながら多忙を理由に断られ、代わりにストーンズとの仕事で頭角を現していたグリン・ジョンズが紹介されました。

 この組み合わせはなかなか良かったのではないでしょうか。そのおかげかどうか、10曲目の「ダイム・ア・ダンス・ロマンス」などは「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の影が漂っています。こうした一面も見せつつ、ジャケット通りのタイトなサイケデリック・サウンドが展開します。

 後のスティーヴ・ミラー・バンドに見られるようなポップな感覚は萌芽が見られる程度ですし、何よりもまだ若い彼らが「サマー・オブ・ラブ」の中で嬉々として演奏する姿にはそそられるものがあります。スティーヴとボズの青春の一枚でしょう。

Sailor / The Steve Miller Band (1968 Capitol)