意表をついて赤いジャケットです。そこに銅板でしょうか、短冊形の金属板が海苔のように無造作に置かれています。スカイ・レコード作品のジャケットはどれもこれも秀逸です。その点ではジャズのECMレーベルと似たところがあります。

 ハンス・ヨアキム・ローデリウスの6作目は、久しぶりに「セルフ・ポートレート」シリーズから離れて、アルバム制作を意図して制作されたものです。それを考えると、純粋なソロ作品としては2作目にあたると考えてもよさそうです。

 その意味からいえば前作にあたるのが「愚者の庭」ということになります。本作品はその「愚者の庭」と同じく、元タンジェリン・ドリームのピーター・バウマンをプロデューサーに迎え、彼のスタジオであるパラゴン・スタジオで制作されました。

 クラスターの最終作となった「クリオリズム」直後の作品にあたります。同作を機に、クラスターの二人はそれぞれソロに進みますから、ローデリウスにとっては改めてソロで再出発するという意味が込められた作品なのではないかと思います。

 「セルフ・ポートレート」シリーズとは異なり、本作品は冒頭からいきなりピアノの音が鳴ります。全体に奇妙な形でエレクトロニカが不在です。ピアノとストリングス、それにパーカッションによるアコースティックな作品となっているんです。

 ただし、ストリングス的な音は電子楽器によって合成されている模様です。それに各種電子的なキーボードも活用されており、決してアコースティックのみということはありません。しかしそれにしてはエレクトロニカ不在を感じさせます。

 ローデリウスはここで長らく暖めてきた、室内楽曲を創造して演奏するという夢をかなえたと言われています。特にアコースティックなピアノを中心とした美しくもシンプルな楽曲は、ポスト・クラシカルなりネオ・クラシカルなりの呼び方がしっくりきます。

 タイトルはそのまま日本語に訳せませんが、語尾にnを付けると「彷徨う」という意味になります。この頃、ローデリウスはある雑誌によって「ウィーンの森の賢人」と命名されています。竹林の七賢のようです。その賢人が森を彷徨う。まことに相応しいタイトルです。

 しかし、戸外を彷徨うのに室内楽とはこれ如何に。スタイルは室内楽、スピリットは漂泊。本作でも「セルフ・ポートレート」同様に、ローデリウスの人生なり世界なりがスケッチされていきます。内容はスケッチ、スタイルは室内楽。そういうことにしておきましょう。

 「セルフ・ポートレート」シリーズには毎回音質が悪いと断りが入っていたので、バウマンご自慢のスタジオで録音された本作品のサウンドのクリアさに耳が奪われてしまいます。加えて、やはり編集の妙。プロデュース・ワークの力量をはっきりと感じます。

 ここでも大きな冒険があるわけではなく、はっとするほど美しい曲が並びます。ただし、「愚者の庭」に比べると、こちらは大人の読み物です。竹林の七賢が静かに杯を傾けているような世界を想像するとぴったりくるのではないでしょうか。

Lustwandel / Hans-Joachim Roedelius (1981 Sky)