「セルフ・ポートレート」シリーズ第二弾です。前作が受け入れられれば2枚目、3枚目が続くと予告していましたから、第一弾の評判が良かったということになります。ジャケットも第一弾と同じ木像が今度は青空を背景に少し正面向きになりました。

 タイトルと合わせ読むと、この木彫りの像はローデリウス自身を指しているのかもしれません。前作では目が退化していましたが、耳は写っていました。今作では耳も写っていません。何だか意味深長な気もしますが、関係ないかもしれません。

 ただし、予告通りの第二作というわけではありません。予告では「余暇の音楽」となるはずでしたけれども、それは次回にまわされることになり、本作品は「フレンドリー・ミュージック」と副題が付けられました。

 前作は1973年から77年までの間に録音された素材を構成したものでした。用意されていた第二弾も同様のはずでしたけれども、ここはどういう心境なのか、ほとんどが1978年と79年にオーストリアで誕生した素材です。

 サウンドは、第一弾同様にファルフィサ社のオルガンを使い、それを加工して、最終的に2チャンネルのテープに録音したものです。オーディオ品質があまりよろしくないところも前作同様です。手法としては前作と変わらないわけです。

 ローデリウスは、「ソロ作品は自分自身の人生の経験を表現したもので、セルフ・ポートレートであり、告白だ」と語っています。「意識的に自分自身の音楽を見つけようとする試みではなく、すでに見つけた音楽を分かりやすくするために洗練させていく試みだ」とも。

 その言葉通り、この作品においても特に音楽的な実験がなされているわけではなく、ローデリウスのオーストリアでの日々を写し出した、穏やかでシンプルな音楽が奏でられていきます。第一弾よりもさらに陽だまり感が強く出ています。

 ソロ二作目の「愚者の庭」とサウンドは似通っている部分があるのですけれども、エレクトロニック・ポップの才人ピーター・バウマンがプロデュースしているか否かは大きいです。この作品もピーターがプロデュースしていれば、より華やかになったことでしょう。

 再発盤のライナーノーツでは、ローデリウスの音楽は、「ヨーロッパのスタイルと非ヨーロッパのスタイルを折衷させた」と指摘しています。真似事になったり、ステレオタイプに堕したりしていないとして、新たなミュージック・スタイルを開発したとしています。

 しかし、これにはかなり違和感を感じます。本人は新たなスタイルの探求ではないとしているわけですし、気負いのないシンプルなサウンドを小難しく考える必要もないでしょう。リラックスして、とても魅力的なこの音楽に耳を傾けるだけで十分です。

 ここでのローデリウスの音楽には強烈なメッセージは不在ですし、抒情に流されることもありません。シンプルなサウンドがありのままにある。ローデリウス自身の感じた世界が美しいサウンドで構築されているだけ。そこが最大の魅力です。

引用:http://furious.com/perfect/roedelius.html

Selbstportrait Vol.II / Hans-Joachim Roedelius (1980 Sky)