「432Hzという語句でネット検索をかけてみよう」とライナーノーツに書いてあったので、ためしに調べてみました。あるはあるは、大量にサイトがヒットしました。スピリチュアルまで入るので玉石混交な情報が手に入ります。

 要するに国際的な基準として国際標準化機構ISOが定めたA(ラの音)=440Hzは悪魔を勝利に導くんだそうです。誰かの陰謀ですね。A=432Hzこそが究極の癒しとなり、精神の安定をもたらすんです。

 スワヴェク・ヤスクウケは「新世代ポーランド・ジャズが誇る最高のピアニスト」です。その彼の新作は、ピアノの調律をA=432Hzとしています。「人間にとって一番自然な、柔らかい響きが出るピッチだから」採用したそうですから、反陰謀というわけではなさそうです。

 「440Hzだともっと張りつめた音がする」のだそうです。絶対音感があるわけではない私にはその違いがよく分かりませんけれども、このアルバムの中のピアノの音がとても美しいことだけは良く分かります。こんなピアノは聴いたことがない。

 この作品は、4歳になる娘さんから「寝る前に何か歌ってよ」とせがまれたヤスクウケが歌の代わりに毎日即興でピアノを弾いている中で思いついたものです。娘さんを5分で眠らせるまでにその技は洗練されていきました。

 ヤスクウケは「いくつかの音をピックアップした音の組み合わせとその繰り返しを使うと、だんだん気持ちがゆったりしてきて何も考えないような境地に達する」ことを発見します。ただし、リズムが強く主張するミニマル音楽的な繰り返しではありません。

 「シンプルで生活の邪魔にならないものを目指した」、「繰り返すことが大事なのではなくて、自由に付け足していく音楽の色彩の方が重要なんだ」と語っていることを言いかえると、かなりアンビエント音楽的です。

 安らかな眠りをもたらすための音楽には、娘さんへの深い深い愛情が込められています。その愛情は音色に現れています。まず、この作品のために古いアップライト・ピアノを購入して、「弦とハンマーの間にあるフェルトの調整」などに時間をかけて準備しています。

 オラシオ氏のライナーによれば、そうして432Hzに調律したピアノをポーランドの田舎の森の中にあるスタジオに運び込み、「周りが暗闇に包まれ日中のざわめきが落ち着いてくるのを待って弾き始め、一夜のうちに録り終えてしまった」そうです。

 さらに「柔らかで繊細な録音で定評のあるアメリカのRoyer社製のリボン・マイク」を使って、丁寧に丁寧に音を拾っています。とにかく柔らかい音です。ピアノはどうしてもとんがったところがあるものですが、それが一切ない。眠りにはもってこいです。

 音数は抑えられ、ゆったりとした時間が流れ、タイトル通り「夢」の中へといざなわれていきます。本人もうたた寝してもらって結構だと思っている模様ですから、ここは素直に心地よい夢うつつを楽しみましょう。とても愛おしい時間が過ぎていきます。

参照:CDジャーナル2017年2月号(オラシオ)

Senne / Slawek Jaskulke (2017 Core Port)