「レ・ミゼラブル」を「噫無情」と訳出したのは黒岩涙香です。海外物の翻案小説を多数ものした明治の小説家の一世一代の名訳であろうと思います。よく考えてみると何だかよく分からない訳ですけれども、ユゴーの心意気は存分に伝わっています。

 その「噫無情」をタイトルにしたのは、マリオネット・アガタことあがた森魚です。メジャー第二作ははっぴいえんどの松本隆のプロデュースによって、前作の世界観をさらに発展させ、完成度の高い作品になりました。

 セルロイド人形を描いたかのようなジャケットはグラフィック・デザイナーの羽良多平吉です。まずはパッケージからして弥生美術館収蔵品のようなレトロ感覚が漂います。ただ、前作よりもやや時代は下りました。

 今作は冒頭に名曲「蒲田行進曲」が置かれていることから分かるように、「キネマをテーマにしたトータル・コンセプト・アルバム」です。ただし、Kというマドンナを巡る曲が2曲あるものの、特段明確なストーリーがあるわけでもありません。

 むしろ、日本のことも外国のことも、昔のことも未来のことも、現実もフィクションもすべてを等しく映し出すキネマないし「テレビヂョン」にテーマにした楽曲群ということになるでしょう。その意味では、バラエティーに富んでいること自体がコンセプトに沿っているわけです。

 付属のブックレットはかなり読み応えのある独白になっています。その中の「現実というのは実は非現実であり超現実であり、汎世界であり反世界であるから、やっぱり儚夢なのです」あたりが、今作のコンセプトを一番良く説明していると思われます。

 カバー曲は、「モンテカルロ珈琲店」と改題された1928年のドイツ製コンチネンタル・タンゴの曲を原曲とする「小さな喫茶店」、これまた1925年の米国のオペレッタが原曲の「蒲田行進曲」、1933年の「上海リル」とあがた森魚らしい選曲です。

 はっぴいえんどの「はいからはくち」もカバーされています。松本隆プロデュースですから自然でしょう。本作品の演奏を務めるはちみつぱいははっぴいえんどとともに日本語ロックの先駆者として日本のロック史に名を残していますし、両バンドは仲良しですし。

 その演奏は見事なものです。バンドネオンやら何やら普通のロックでは使わない楽器も用いて戦前を彷彿させる音をさせています。それにこの時代にしては物凄く音がいいです。いかに彼らがサウンドに神経を配っていたかが良く分かります。

 曲間を映写機の音でつないだり、テレビの音を効果的に使ったり、隅々まで配慮が行き届いています。あがた森魚のボーカルや緑魔子の語りもとても生々しい。あまりの完成度に、どうしようもなくフォーク調になるところにを見つけてほっとしたりします。

 前作の路線はここで頂点を極めました。本人も、このアルバムで「僕にとって一つのテーマであった、僕自身の昭和散策路は一つの終鷲(ママ)を告げることが出来た様な気がします」と語っています。私自身は、前作の裂け目が懐かしいのですが。

Les Misérable / Marionette Agata (1974 ベルウッド)