「ウォーク・ディス・ウェイ」は画期的な曲でした。ランDMCによるカバーがエアロスミス復活の契機になったことは良く知られています。しかし、そのおかげでそもそもこの曲がエアロスミスをスターダムにのし上げるきっかけとなったことが忘れられている気がします。

 それまで話題にはなっていたものの、どうも今一つ突き抜けられずにいたエアロスミスでしたが、この曲を含む3枚目の本作「闇夜のヘヴィ・ロック」をきっかけに押しも押されもせぬスーパースターに登りつめることとなりました。

 ボーカルのスティーヴン・タイラーは残念なことに唇がミック・ジャガーに似ていました。そのため、日本ではエアロスミスはストーンズの真似をしているバンドと捉えられていました。欧米でもそれはありましたが、むしろサウンド的にレッド・ツェッペリンのコピーだとされました。

 確かに当時、米国にはこうした都会派のハード・ロック・バンドはなかったので、しょうがないことだったのかもしれません。その殻を破ったのが「ウォーク・ディス・ウェイ」だったんだろうと思います。私もこの曲で初めてエアロスミスを好きになりました。

 しかし、この曲は最初にシングル・カットされた時にはチャートインすらしていません。わずか1年後に再発されてトップ10ヒットになるのですから面白い。アルバム自体もトップ10入りしていませんが、通算128週チャートインという超ロングランになっています。

 要するに、このアルバムがじわじわと全米に支持を広げていって、結果800万枚以上を売り上げるエアロスミスの代表作になったということです。エアロスミスの実力が人気を引き寄せたという理想的な展開です。

 当時のLPのコピーは「時代は変わった...さあ、主役の交代だ!」というものです。この頃からロック界の新御三家と呼ばれ始めました。キッスとエアロスミスは定番で、もう一枠はクイーン、チープ・トリック、エンジェルなどが競っていました。新しいスターに飢えていたんです。

 さて、「ウォーク・ディス・ウェイ」はツェッペリンばりのギター・リフと、早口のラップのようなボーカルによる特徴的な曲でした。しかし、当時のハード・ロック・ファンの間ではむしろ「スウィート・エモーション」の方が人気が高かった。それほど異端だったんです。

 ところで、当時の邦題事情が面白いです。「ウォーク・ディス・ウェイ」は「お説教」、「スウィート・エモーション」に至っては「やりたい気持」です。今は引っ込められていますが、特に後者は当時のロックの捉えられ方を反映しています。まだまだロックは不良の音楽でした。

 ともかく、ジャケットも前2作の野暮ったい感じとは異なり、かなり垢ぬけてきました。同様にアメリカのハード・ロックと言えば、その頃はグランド・ファンク的な野暮ったさが一つの持ち味でしたが、ここでのサウンドは随分垢ぬけています。

 プロデューサーのジャック・ダグラスとの息もぴったり合ってきました。まだ、アルバム自体は粗削りですが、「クイーンに対するアメリカン・ヘヴィからの解答だ!」とレコード会社が息巻くだけのキラリと光る名盤です。 

Toys In The Attic / Aerosmith (1975 Columbia)