レコード会社との関係がこじれてパーラメントもファンカデリックも使えなくなったジョージ・クリントンはソロ名義での契約をキャピトル・レコードと結びました。契約の間隙をついた上手い手段です。私の世代だと江川卓の空白の一日を思い出してしまいます。

 さすがにジョージは商才に長けています。そうして発表した初のソロ名義アルバムが起死回生の大ヒットになるのですから凄いです。ここからのシングル・カット「アトミック・ドッグ」はそれこそジョージの代表作となるほどのヒットを記録しています。

 その「アトミック・ドッグ」はR&Bチャートで9週連続1位だったマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」を蹴落として1位の座に輝きました。しかも4週連続1位をキープした上に、半年ほどもチャートに居座る特大ヒットです。

 さらにこの曲はスヌープ・ドッグを始めとするヒップ・ホップの連中にサンプリングされまくるという形で尊敬を受けています。「後のヒップホップなどに多大な影響を与えた」と帯に記載されているのはあながち嘘ではありません。

 アルバムの先行シングルは「ループジラ」です。ブーツィーの「ブージラ」同様、ループとゴジラの造語なのでしょう。この曲はマーサ&ザ・バンデラスの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」やPファンクの有名曲を入れ込んだメガミックスになっています。

 このアルバムが発表された1982年は、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」が発表された年でもあります。ヒップホップの本格的な始動です。「ループジラ」はまさにその手法を使って曲ができています。さすがはジョージです。

 「アトミック・ドッグ」はさらにそれを進化させたような楽曲で、ジョージは当初あまりピンときていなかったようですが、自らが理解できないからこそ面白いとばかりにそれを特出しするとは立派なものです。狙いは見事にあたりました。

 Pファンクでは、もともとバーニー・ウォーレルからジューニー・モリソン、そして直近のデヴィッド・リー・チョンに至るシンセ使いが活躍していました。勃興するヒップホップが取り入れられることは必然であったことでしょう。ちなみにこの三人はこのアルバムに参加しています。

 もともと2枚組を予定していたファンカデリックの前作が1枚になったわけですから、ジョージには曲のストックがあったはずです。冒頭に置かれたブーツィーとの共作「ゲット・ドレスト」などは素直にそういう感じを受けます。

 しかし、シングル2曲やピコピコしている「コンピューター・ゲームス」などを聴くとかなりサウンドが変化していることが分かります。シンセはもちろんギターの音やドラムなども軽めの音に仕上がっていて、この時代のヒップホップ的です。

 この頃はこうした音に未来を見ていたんだなあと懐かしくなります。参加メンバーはPファンクでお馴染みの顔ばかりなのに、このサウンドの変化。新しいブラック・ミュージックの息吹きを感じた方向修正は見事なものでした。

参照:[P-FUNK」河内依子

Computer Games / George Clinton (1982 Capitol)