今度は古代エジプトにやってきました。しかし、パーラメントのサーガは古代エジプトをはるかに越えて、ジャワ原人やネアンデルタール人、さらにはいかさまで知られるピルトダウン人まで持ち出すことになりました。

 踊れないはずのサー・ノーズは実は太古の昔からファンキーだったことに覚醒し、これからはファンクすることを誓うことになりました。これで敵味方はなくなり、世界はファンクの元にようやく一つになったわけです。めでたしめでたし。

 このようにサーガは大団円を迎えたわけですが、ジョージ・クリントンはこれが最後のパーラメントのアルバムになることを知っていたのでしょうか。そこは謎ですが、実際にこのアルバムがパーラメント名義では最後のアルバムになってしまいました。

 この頃、ジョージのよき理解者だったカサブランカ・レコードは大手ポリグラムに買収されました。一方で、ジョージは新レーベル「アンクル・ジャム」を立ち上げ、モータウンのようにするんだと張り切っていました。ビジネスが忙しくなったわけです。

 音楽的にはジョージの影響力がさらに減退し、メンバーたちの力が増してきていたようです。その証拠に初めて曲ごとに演奏者のクレジットが記載されるようになりました。もはやファンク一家の団欒風景ではなくなってきています。

 それを見ると、たとえば1曲目と2曲目はブーツィー・コリンズがベース、ギター、ドラムを担当し、キーボードのデヴィッド・リー・チョンの二人で演奏が完結しています。もちろん、ここにホーンとボーカルが乗るのですが、ともかく基本は二人。

 しかし、すべてがブーツィー中心というわけではなく、プロデューサーとして、ウォルター・ジューニー・モリソンや、新顔のロン・ダンバーとロン・フォードが併記されており、彼らが中心になった楽曲では、それぞれが結構個性を際立たせています。

 これまではどうやっても結局はジョージ・クリントンが強引にまとめていたのですが、もはやそういうわけでもなく、吸引力は弱まっているように思います。それはそれで力のあるミュージシャンたちですから、結構な一面もあります。

 前作に比べると、より溌剌とした感じの音になっており、特に「アゴニー・オブ・ディフィート」は最後のヒット曲として、人気も高いです。アンクル・ジャムの専属プロデューサーとして雇ったロン・ダンバーとドニー・スターリングという新しい顔による共作曲です。

 バーニー・ウォーレルの関与はさらに限定的になっていますから、まさに新旧交代と言えます。Pファンクのレガシーを新たな解釈で展開する若手と、レガシーそのもののベテラン勢の奮闘が最後の火花を散らしていて、なかなかの力作になったと思います。

 しかし、こうした新旧交代の波をうまくマネージするのは大変なことでした。Pファンクの80年代は困難な時代となってしまいます。プラットフォームもうまく機能させることは並大抵のことではありません。こうしてPファンクは70年代にピン止めされることになりました。
参照:「P-FUNK」河内依子

Trombipulation / Parliament (1980 Casablanca)