今でも小学校ではわらべうたを歌うのでしょうか。私の子どもの頃は、音楽の教科書にビートルズの「イエスタデイ」が載ったかどうかという頃で、特に小学校などはわらべうたや文部省唱歌、それに民謡が中心、クラシックが少々といった感じでした。

 わらべうたは今よりも身近な存在でした。子守唄や遊びの中で唄う歌はいまよりはわらべうたに近かった。ただ、生活の場に歌が溢れていたというよりは、やはりテレビやラジオで今よりも頻繁に流れされていたということだったのかもしれません。

 寺尾紗穂も、日本の昔話を現代に広めることに大いなる役割を果たした「まんが日本昔ばなし」からわらべ歌の世界に分け入ったそうです。子どもたちに大いに人気のあった山姥を研究するうちに小沢俊夫さんが採譜した子守唄に出会ったということです。

 「子守唄にしろわらべ歌にしろ、単音の主旋律しか書かれていない楽譜を見た時、左手で鳴らすべき音というのはかなり自由な裁量に任される」ことから、アーティスト魂に火がつきました。その主旋律を口ずさむと、「すばらしくやさしい和音が自分の中で鳴り始め」ました。

 寺尾紗穂は、1981年生まれのシンガー・ソングライターにしてエッセイストです。「原発労働者」なんていう硬派な著書をものしている人でもあります。音楽の方は2006年の「愛し、日々」がソロ・デビュー、以降、数多くの作品を発表しています。

 この作品はウェブで連載している「わたしの好きなわらべ歌」との連動企画になっています。全国各地のわらべうたが全部で16曲収録されたアルバムで、シンガー・ソングライターとしては異色の作品ゆえに、何となく企画盤として扱われています。

 ただし、基本的に「単音の主旋律」しかないわけですから、曲のほとんどは寺尾が作ったものだと言えます。オリジナリティーに溢れるサウンドが溢れだしてきていて、旋律の美しさを際立たせています。抑制のきいた演奏は素晴らしいです。

 ことさらに和楽器を使うというよりも、世界の民族楽器が自在に使われており、わらべうたのワールド・ミュージック性が頭をもたげています。深く意識の中に降りていけば、より根源的なところで世界と会うわけです。

 収録されたわらべうたには馴染みのあるものはほとんどありません。「雪やこんこ」は童謡にもありますが、ここは「平安にさかのぼる古い歌」が使われています。そういう意味では、アジアの歌と言われても違和感はありません。

 歌詞の世界もなかなかに恐ろしい。♪男の子なら拾い上げ、女の子なら踏みつぶせ♪と歌う「裏の畑のちちゃの木に」は名古屋のお手玉歌です。方言で意味のとれない曲あり、切ない子守唄あり、そんな日本語は突き刺さってきます。

 レコード会社が企画する「日本のわらべうた」的な文部省お墨付き感が一切なく、よりわらべうたを生んだディープな現実の世界に迫っています。その意味ではより教育効果が高いのかもしれません。居心地が悪くなるほど深い深い音楽です。

Watashi No Sukina Warabeuta / Terao Saho (2016 P-Vine)