恐ろしいまでに素晴らしいピクチャー・ディスクで発売されました。CD紙ジャケ再発でそれが再現されたのはすごいことです。もちろんサイズは小さくなっているわけですけれども、素直に感動しました。ため息をつきながら眺めていた記憶がよみがえってまいります。

 この絵は丸尾末広による作画です。当時のサブカル界を席巻していた丸尾末広の作品は代表作「少女椿」を始め、大たい買っていましたから、ザ・スターリンとのコラボは嬉しかったです。丸尾は「童貞厠之介」にてこの作品の「365」を引用しています。相思相愛でした。

 ザ・スターリンの3枚目のアルバムは、ビジュアルの豪華さのみならず、サウンドの進化に驚かされました。言うなれば、セックス・ピストルズがパブリック・イメージ・リミテッドになったようなイメージでした。必然の進化だったと言えるでしょう。

 ただし、それを「進化」と捉えるかどうかは人によって違います。前作からまだ1年ちょっとです。パンクとしてのスターリンはまだ絶頂にありましたから、パンクからは徐々に遠ざかる方向性に賛否両論あったように記憶しています。

 とりわけ歌詞が変わりました。前作は歌詞を語っていましたが、今作では短い言葉が叩きつけられています。語られるのではなく、吐き出されるような言葉はさらに強度を増していて、私はこちらの方がしっくりきました。

 ♪天プラ、天プラ、天プラ、おまえだ♪、♪お前なんか知らない♪、♪お前は水銀、沈んでいくだけ♪、♪ママ~共産党♪、♪遊びたい!遊ぶオンナは嫌いだ!♪、どれもこれも刺さってきます。音と一体にならないと魅力は伝わりませんが。

 スターリンのメンバーは遠藤ミチロウ以外は流動的ですから、前作に比べてメンバー交代があったのかと思いましたが、ドラムがイヌイ・ジュンからじゃがたらの中村貞裕に交代したのみでした。タムのギターもシンタロウのベースも強度を増しています。

 歌詞の変化は、一つには前作がレコード倫理委員会の検閲を受けて、ややこしいことになったことへの対応だともいわれています。そうかもしれませんけれども、私はここはそういうことではなくて、熟考の結果だと思いたいです。より純度が上がっていますから。

 アルバムの中では「虫」が俄然注目です。A面は比較的これまで通りの短い曲の集まりですけれども、B面はやや長めの曲が並び、最後に10分近い大作の「虫」で絞められます。重い反復ビートが延々と続く中でミチロウのシャウト気味のボーカルが光ります。

 この曲がサウンドの変化を象徴しています。怒りと反抗の象徴としてのパンクから、より自己の内奥に降りて行って世界と対峙していくような突き放したサウンドになりました。リスナーによる自己投影を阻むサウンドによって疎外感を味わうことが快感でした。

 この変化は、アルバムの前に出された12インチ・シングル「GoGoスターリン」にその萌芽がありました。ここではボートラで収録されています。ヨシフ・スターリンの肖像をジャケットにしたその12インチも名盤でした。スターリンは凄いです。

Mushi / The Stalin (1983 徳間音工)