キリング・ジョークは英国のニュー・ウェイブ期にデビューしたバンドです。ギャング・オブ・フォーやバウハウス、エコー&ザ・バニーメン、ジョイ・ディヴィジョンにザ・ポップ・グループなどとともに、ロックの新たな地平を開いたバンドだと言えます。

 実際、当時は「バンド同士がちょっとしたトライブのようだった」、「当時の雰囲気は本当にある種のルネッサンスのようだった」と、フロントマンのジャズ・コールマンは語っています。「俺達からルネッサンスを始める」心意気が素晴らしいです。

 キリング・ジョークは、インド系の母親をもつジャズを中心に結成された4人組で、ジャズのガールフレンドにお金を借りて、1979年にファースト・シングルをリリースします。インディーズが当たり前となっていた当時の雰囲気を感じます。

 ここでジョン・ピールが出てきます。ジョンの目に留まったキリング・ジョークは、ピールのラジオ番組ジョン・ピール・セッションに出演すると、知名度がぐっとあがり、めでたくロキシー・ミュージックやキング・クリムゾンのEGレコードと契約を交わします。

 当時のシーンにジョン・ピールが果たした役割は途轍もなく大きいです。その目利きが素晴らしい。まだまだ粗削りだったキリング・ジョークのサウンドに注目するとはさすがとしか言いようがありません。

 そして1980年10月には早くもファースト・アルバムを発表します。セルフ・タイトルのセルフ・プロデュース作品です。邦題は「黒色革命」とされました。「革命」はいいですが、「黒色」は恐らくジャケットのイメージだけでしょう。

 そのジャケットに使われた写真は、北アイルランド紛争で、警官隊の放ったガスから逃れようとする若者を、戦争写真で有名なドン・マッカリンが撮影したものです。血の日曜日の少し前のことだそうです。このジャケットは確かに衝撃的でした。

 そんな衝撃的なジャケットに包まれたサウンドは、歪んだギターの音と、遠くから響いてくるメタリックなボーカル、どんどこ打ち鳴らされる太鼓とベースによるリズムからなり、全体に呪術的な雰囲気を色濃く湛えています。

 革命と言い切ってしまう人が多そうです。ここで切り開かれた地平は、後にハードコアやスラッシュ・メタル、オルタナティブなど、さまざまなスタイルに繋がっていきます。その意味ではロック史に残る作品です。

 もちろん、ハウスやテクノ以前のビート感覚でのガレージ的な手作りリズムには時代を感じます。プロダクションも演奏もまだまだ素人臭いですし、勢いは凄いですが、スタジオを使いこなすまでには至っていません。

 そこまで含めて慈しむべき作品です。「ウォーダンス」や「レクイエム」などの名曲に耳を傾けて、ずんどこリズムに身を委ねていると、当時の気分を思い出してきます。若い頃に出会っていると、いつまでも新鮮に思える音楽です。

Killing Joke / Killing Joke (1980 EG)