フォリナーがデビューした時の一番の話題は英米混成バンドだったことでした。日本人の山内テツがフェイセスに加入したこともあったのに、日本人から見れば区別のつかない英米の白人が混ざっただけで何が珍しいのか全く腑に落ちなかったのでよく覚えています。
 
 しかし、話題になるということは実際には珍しかったんでしょう。一緒に珍しがることができなくて疎外感を味わいます。まあ、日本人と韓国人の混成バンドが珍しいのと同じようなものだと、こっち側に引き寄せて考えれば良いのでしょうが。
 
 また、フォリナーはスーパーグループと呼ばれていましたが、少なくともここ日本では、その理由は元キング・クリムゾンのイアン・マクドナルドが参加していたこと以外にありませんでした。リーダーのミック・ジョーンズは日本ではさほど知名度がありませんでした。
 
 ミックは若い頃からイギリス国外で活躍していた人で、特にフランスでの活動が活発でした。その当時、フランスにやってきたビートルズとしばしの間行動を共にしたことがあるそうです。異国の地フランスでフォリナー同士、意気投合したのでしょう。
 
 ともあれ、フォリナーはデビュー作をいきなり大ヒットさせました。実に400万枚を売り上げるという特大ヒットですからスケールがでかいです。この作品はそれに続く2作目で、こちらも世間の心配をよそに700万枚と、前作を越えるウルトラ・ヒットになりました。
 
 シングルも「ホット・ブラッディッド」に「ダブル・ヴィジョン」、「蒼い朝」が大ヒットしています。ただ、面白いことに英米混成なのに英国ではさっぱりでした。米国では3位まで上がっているのに、英国ではトップ30にも入りませんでした。
 
 これは産業ロック批判によるところが大きいと思われます。この当時、ポップな持ち味のロック・サウンドがヒットすると、押しなべて産業ロックのレッテルを貼られて、貶められました。フォリナーはその筆頭格です。
 
 彼らのサウンドは、ミックの言葉を借りれば、「70年代初めに、僕が崇拝していた人々やそこから生まれたブルースやルーツ音楽によって形成された。フォリナーはその延長線だった」のですが、それに加えて「『フランス時代』にオーケストラと共演した」ことが幅を広げました。
 
 さらには、「人生の一時期にあのアコーディオン音楽を聴いたおかげもあるかな!」と笑っています。ブギー的なハード・ロック・サウンドを基調に、プログレ的節回しをポップな持ち味で味付けしたようなサウンドです。
 
 とても聴きやすい音楽なので、ブリティッシュ・ロック原理主義者から嫌われたのでしょうが、これだけの売上はやはり凄い。ルー・グラムのハード・ロック全開のボーカルがサウンドに命を吹き込んでいますし、何と言っても旬の勢いを感じる傑作です。
 
 デビュー作の大ヒット後に初めてのツアーに出たというバンドです。それなのに、特大ヒット後の作品を作る大きなプレッシャーを見事に跳ねのけたところが、並みの新人バンドと違います。やはりスーパー・グループだったんです。 
 
Double Vision / Foreigner (1978 Atlantic)