家入レオももう4枚目のアルバムを発表するまでに至りました。順調な航跡をたどっているといえます。前作を聴いた時に、次のアルバムが出たら買わないかもしれないと思ったのですが、今回は、ちょっと変わったと本人が言っていたので、買ってみることにしました。

 前作はほとんどが西尾芳彦とのコラボでしたが、今回は西尾の出番は限られていて、メインのパートナーは多保孝一に代わりました。ご存知、スーパーフライの方です。YUIや絢香の西尾とスーパーフライの多保。この交代は成功だったと思います。

 「私の歌を聴いて懐かしいと思う人もいる」と本人がどこかで語っていましたが、家入レオの音楽は必ずしも時代の先端を走っているということではなく、比較的オーソドックスなJポップです。70年代とまではいきませんが、80から90年代の香りが魅力です。

 そうなると多保孝一はぴったりです。スーパーフライの魅力の方が家入レオには合っています。二人は意気投合したようで、大変気持ちの良いコラボレーションになった模様です。「このアルバムで楽になれた」そうですから。

 これまで10代のカリスマとして、同世代の孤独や焦燥を一身に体現してきた家入レオが初めて等身大の姿をあらわにしました。ただし、苦悩する受難者の役割を放棄したわけではなくて、違う角度からメッセージを放り込んできたということです。

 「すがるような気持ちで家入レオの曲を聴いている子がいたとして、最後の砦である私が『人はひとりだ』って言うのは違う。私はいつでも『大丈夫だよ』って言ってあげられる存在になろうと思ったんです」。大人になりました。

 ちょっと寂しいと思わないではありませんが、一度、こうして肩の荷を下ろしてみるのもいいことでしょう。そうでなければファンに磔にされてしまいます。殉教者の役割を彼女に負わせるのは酷というものです。

 サウンドは軽やかに多彩になりました。「サカナクションのライブに行った時に、ドラムン・ベースがやりたくなって」という「恍惚」など典型的です。文学趣味が顔をのぞかせていて、詩作の面でも一皮向けた模様です。

 本人が「本当にスカッとした」という「パーティー・ガール」は、80kidzというエレクトロユニットが、バブル期のアレンジを施しています。こういうポップ・チューンも新たな側面ということになるのでしょう。

 一方で、同様にはじけている「シティボーイなアイツ」のモデルはニルヴァーナのカート・コバーンだそうです。ロック少女の意地のようなものが見えて面白いです。「一般的なレベルで聴く程度」だそうですが。

 お父さんのような気持ちで見守っている家入レオです。今回のように肩の力を抜いてのびのびと音楽が出来るようになったことは大変結構なことです。ほっとしました。目の前の壁がすっとなくなったようで、今後が楽しみです。健闘を祈っています。

参照:T-SITE news 2016/7/5

WE / Ieiri Leo (2016 ビクター)