ジャケットの下の方に注目です。フェラの名前が記されているところで、「フェラ・ランソム・クティ」の中の「ランサム」に罰点が付けられており、「アニクラポ」と訂正されています。そうです。フェラはこのアルバムから名前を変えています。

 なぜ改名したかと聞かれたフェラは、「聞くんだったら逆だろ?アホ!そもそも俺の名前が、どうしてランソムになったのか」。確かにそうです。ランソムはそもそも英語名です。話はフェラのお爺さんの代に遡ります。

 フェラのお爺さんは、キャノン・J.J・クティという名前の伝説的な牧師でした。音楽の才能に恵まれていたお爺さんを、宣教師たちがイギリスに連れていき、ロンドンでレコーディングさせたそうで、その宣教師の一人の名前がランソムだったとのことです。

 その後、エルサレムを経由してナイジェリアに戻ったお爺さんに、その宣教師が名前を授けたんだそうです。それ以降、クティ家はランソム・クティ家になりました。ただしお爺さんは、ひい爺さんの白人への敵意はしっかり受け継いでいたそうです。

 こんな出自の名前にフェラが我慢できるわけはありません。「奴隷制によってアフリカ人の名字は剥奪されたが、彼は白人のご主人様から頂いた名字じゃなく、あえて『X』を選んだのさ」とマルコムXを讃えているフェラですから。

 そうして1975年の終わりに、ランソムを捨て、アニクラポと名乗ることになりました。アニクラポは「死を支配する力を持つ」という意味を持っているそうです。ついでにフェラは「偉大な輝きを放つ者」、クティは「人間には殺せない」という意味を持っています。

 全部つなげて、「偉大な輝きを放ち、死を手中に収め、人間には殺すことのできない者」です。こんな素晴らしい名前に改名したわけですから、特に充実していたのでしょう。このアルバムの二曲はなかなか充実しています。

 二曲で一枚といういつものパターンで、楽器編成に特に変わったところはなく、いつものフェラです。もちろんアフロ・ビートなのですけれども、2曲目のイントロ部分のドラムなどは、とても面白いです。何とも軽めのパタパタした音が新鮮です。

 タイトル曲の歌詞の内容は、ナイジェリア国内の格差に焦点を当てるものです。ラゴスの街の裕福な地域であるイコイ地区に住んでいるエリートたちの考え違いを、ムシンなどの貧民街との対比から描き出しています。

 ジャケットに見られる通り、目隠しをされたイコイのエリートたちは、足を踏み外して転落してしまいます。結局はあやつられているだけだということでしょう。いつものように舌鋒鋭く切り込んでいくフェラです。

 二曲とも比較的地味なアフロ・ビート曲ですけれども、聴けば聴くほど味わいが増してきます。フェラの気力が充実している証拠でしょう。バック・バンドのアフリカ70もCからKのアフリカに改名し、フェラの新たなスタートが切られました。ひりひりします。

参照:「フェラ・クティ自伝」カルロス・ムーア(菊地淳子訳)

Ikoyi Blindness / Fela Anikulapo Kuti & Afrika 70 (1976 Afriva)