このアルバムが発表されたのは1974年なのか75年なのか両説あるようですが、恐らく制作は1974年なのでしょう。この1974年はフェラにとって特別な意味合いのある年です。その年、カラクタ共和国が誕生したのです。

 フェラはアメリカで苦しむ黒人たちを目の当たりにした時に、彼らを受け入れられる「さまざまな迫害から逃れたアフリカ人を受け入れる場所を作りたい」と思いました。「それが、俺の感じた最初のパン・アフリカニズムだったかもしれない」と語っています。

 それはアフリカの現状から、さらに「すべての人間に開かれた本物のコミューン」を作るアイデアに発展し、そしてついに1974年にカラクタ共和国が誕生したのです。共和国は「ナイジェリア連邦共和国に、俺は同意できないってことを示すためだ」ということです。

 しかし、その前に同年4月には「いわゆる『法と秩序』を振りかざす奴らと初めて衝突」しています。大麻所持の容疑で逮捕され、8日間も留置所に入れられてしまいました。フェラと当局との直接の対決はこの後もずっと続くことになります。

 このアルバムはそんな騒然とした雰囲気の中で制作されたものと思われます。これまでのアルバムとは異なり、A面とB面を通して一曲だけです。もちろんアルバム・タイトルと同名の「コンフュージョン」です。便宜上、パート1とパート2に分かれます。

 初の試みはそれだけではありません。この曲は、まず5分間に及ぶフェラのエレピとトニー・アレンのドラムによるインタープレイから始まります。エレピの音はかなりエフェクトがかけられていて、宇宙を感じさせるプログレもかくやと言う音になっています。

 アレンのドラムも同じリズムを刻むのではなくて、フリー・フォームなインプロビゼーションです。ここだけ聴くと、フェラ・クティのサウンドだとは分からないと思われます。ライブでは普通に行われていたのでしょう。息の合ったインタープレイを生で聴いてみたかったです。

 そのうち、ベースが加わって、アフロ・ビートのグルーヴが登場します。その後は、テナー・ギターにリズム・ギターが加わり、次第にホーン陣が入ってくると、アフロ・ビートが全開となります。ボーカルが入ってくるのはまだ後です。

 ギター陣の刻むリズムに乗せて、トランペットとテナー・サックスのソロが炸裂し、ようやくボーカルが入ります。おそらくLPで言えば、B面になってようやくフェラのボーカルが入ってくる仕組みになっていたと思われます。充実の演奏だからこそできる荒業です。

 歌詞の内容は、ナイジェリアの矛盾を告発するものです。産油国であるナイジェリアは、石油収入で裕福であるにも関わらず、公共サービスは汚職と予算不足でどうしようもない状況にある。まさに♪エヴリウェア・コンフュージョン♪です。

 生涯に一度だけ訪問したラゴスは確かに♪エヴリウェア・コンフュージョン♪でした。フェラの歌を聴いていると、あの混乱の中で戦い抜いたカリスマ音楽家の強靭さとしたたかさを感じざるを得ません。アフロ・ビートの一つの到達点とも言える作品です。

参照:「フェラ・クティ自伝」カルロス・ムーア(菊地淳子訳)

Confusion / Fela Ransome Kuti & Africa 70 (1974 EMI)