「スペイス・オディティ」の成功の後、ボウイはハイプと言う名前の新しいバンドを結成し、ライブ活動を行いました。お披露目となった1970年2月のロンドン公演に、ボウイはユニセックスの派手な衣装で登場しており、これがグラム・ロック誕生の瞬間だと言われています。

 そしてこのアルバムです。ジャケットにはソファに横たわるボウイの姿。これはラファエル前派の人気画家ダンテ・ガブリエル・ロゼッティの作品をモチーフにしたものです。彼が身にまとっているのは男のドレスと言われており、ボウイはこれを着て街を歩いていたそうです。

 こうなると、いわゆるグラム・ロック全盛期のボウイという感じになりますけれども、実際には、まだまだシーンはそういうことにはなっていません。そもそも先行発売されたアメリカ盤ではカートゥーン・ジャケットと言われるカウボーイのイラストでした。

 イギリス盤も当初このジャケットでしたが、1972年にRCAが権利を獲得して以降はモノクロのパフォーマンス姿に差し替えられています。本人も周囲もまだグラム・ロックの熱狂はなかったわけです。マーク・ボランの大ブレイク前ですし。

 ライブ用のバンドとして結成されたハイプには、プロデュースを担当するトニー・ヴィスコンティもベースで参加していますし、何よりも盟友となるミック・ロンソンがギターで参加していることが特筆されます。これにドラムを加えた3人組がハイプでした。

 ここにシンセでセッション・プレイヤーのラルフ・メイスを加えて制作されたのがこのアルバムです。ボウイのソロではありますけれども、息のあったバンドによる演奏ですから、バンド的な一体感が溢れています。

 普通のロック編成ですから、前作に比べると、よほどハードなロックになっています。前作は「スペイス・オディディ」とそれ以外の曲で感触が違いましたが、こちらは前者の流れに乗っていると言えます。やはりそちら方面に進んできました。

 マーク・ボランを手掛けていたトニー・ヴィスコンティの計らいもあって、この時期、ボウイはマークとセッションをしています。そのせいか、同じトニーのプロデュースだからなのか、サウンドは少しTレックス的なところがあります。

 しかし、ボランとボウイの差はファンタジーとSFの違いです。隣り合わせのジャンルかもしれませんが、その隔たりは意外と大きい。この二人の場合は、もちろん歌詞の世界の相違もありますが、二人の声の違いによる部分が大きいと思います。

 アメリカ盤のジャケットがイギリスでは使われなかったのは、その絵にボウイの兄テリーが入院していた精神病院が描かれていたことを後悔したせいだということです。ボウイの苦悩が感じられます。そして、その苦悩はアルバム全体を覆っています。

 プリミティブなロックを奏でるハイプのサウンドに合わせて、重苦しい内容の歌詞をボウイのSF声が歌います。フォーク・ロック的な雰囲気も少し残しつつ、ミック・ロンソンのギターを伴侶として、ボウイの次なるステージが準備されていく様が見て取れる作品です。

The Man Who Sold The World / David Bowie (1970 Mercury)