乗りに乗っているシュープリームスのオリジナルとしては3作目の作品です。何と言っても「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」です。この上なく可愛らしい振付で歌う三人の姿はたまりません。まぎれもなく彼女たちの代表曲です。

 前作収録曲から続いていた連続全米トップ獲得記録は、その「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」と「バック・イン・マイ・アームズ・アゲイン」が続きました。残念ながらアルバム2曲目の「ナッシング・バット・ハートエイクス」は1位獲得がなりませんでした。

 しかし、その勢いは強く、アルバムは全米6位まで上昇するヒットとなっていますし、この後もヒットが続いていくことになります。シュープリームスの黄金時代はまだ始まったばかりと言える時期です。

 今回の作品はすべてがホランド・ドジャー・ホランドの手になる楽曲で占められています。モータウンも腹を据えました。そして、それは大成功になっています。HDHの楽曲は一つの型をもっており、それがシュープリームスにはぴったりはまったのでしょう。

 彼女たちはまたイギリスでも人気がありました。前作のシングル「ベイビー・ラブ」は1964年にイギリスで一位となった唯一のアメリカンです。そんなところにも、ディープな黒人のイメージとは少し違う彼女たちの表情が伺えます。

 後のスター然としたダイアナ・ロスの佇まいとは異なり、この頃の彼女たちは、どこにでもいそうなルックスと、愛すべき野暮ったさでもって、若いアメリカ黒人層のロール・モデルとなっていました。

 そのため、さまざまな商品の宣伝にかり出されることしばしばだったということです。さらに、ダイアナ・ロスは喉が弱かったようで、HDHの曲は彼女の喉にあまり負担をかけないように配慮もされていた模様です。

 こういう話を聞くと、これはまるで70年代から80年代の日本のアイドル事情と同じではないかと思います。アルバムの楽曲は、構造が似たり寄ったりですし、同じような曲が多い。そんなところまで日本の歌謡アイドル仕様です。

 ピーター・バラカン氏も、「ダイアナ・ロスは、モータウンが白人層へ、そして世界へと浸透していくうえでアイドル歌手的な役割を果たします」と書いています。彼はリアル・タイムでこの時代を経験した人ですから間違いありません。

 「彼女の歌にはあまりソウルは感じられません」というバラカンさんですが、「今思うと、あの頃のスープリームズは、社会の様々な分野に進出をし始めた黒人の代表としての明るい輝きを放っていました」と書かれています。

 1965年、まだキング牧師が暗殺される前、アメリカにおける黒人の地位は今とは比べ物にならない状況でした。明るいシュープリームスの歌声の裏にはそんな社会が広がっていたんです。そう思うとまたこうしたアルバムも別の輝きを放ってきます。

参照:「魂のゆくえ」ピーター・バラカン

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