「ドリームガールズ」を見る前と見た後では、シュープリームスに対する見方が変わってしまうのはやむを得ないことです。モータウンのガールズ・ポップスという華やかなアイドル世界の裏側を見せられるのが、随分歳をとってからでよかったと思います。

 シュープリームスは、まずはデトロイトで地元の男性ボーカル・グループであるプライムズの姉妹グループ、プライメッツとして誕生しました。プライムズは後のテンプテーションズですから、このちょっとしたお話はなかなか味わいが深いです。

 すでにモータウンの副社長になっていたスモーキー・ロビンソンに、近所に住んでいたよしみで電話をかけて、何とかオーディションを受けることに成功したという突撃談も、これまた味わいが深い。そうして、1960年に正式にモータウンと契約に漕ぎつけました。

 しかし、順風満帆とはいかず、最初の頃はまるでヒットに恵まれませんでした。そのため、「ノー・ヒット・シュープリームス」と言われていたのだそうです。しかし、モータウン社長のベリー・ゴーディーがダイアナ・ロスをメインに据えてから風向きが変わってきます。

 本格的なブレイクは、ホランド=ドジャー=ホランドのソング・ライティング&プロデューサー・チームの手に預けられてからです。HDHチームにとっても、シュープリームスのヒットが彼らの成功の足掛かりになりました。

 この作品はシュープリームスのセカンド・アルバムにして、全米2位という大ヒットを記録した作品です。前作がチャート・インしていないことを考えるといきなりのブレイクです。もちろん当時はシングル中心ですから、シングルのヒットに引っ張られてということです。

 そのヒット曲としては、まずHDHと組んで初のヒットとなった「恋のキラキラ星」が挙げられます。これは23位どまりでしたが、何かが変わる予感はあったのでしょう。普通にいい曲で、大ブレイク前のエネルギーを感じます。

 次いで、初の全米1位を獲得した「愛はどこへ行ったの」。さらに「ベイビー・ラブ」、「カム・シー・アバウト・ミー」と3作連続の1位ですから、凄いものです。この連続記録はあと2曲続き、全部で5作連続1位となります。

 このあたり、日本の歌謡界のようです。モータウンはまるでジャニーズ事務所のようなところですから、そのアナロジーもあながち間違いではありません。それを敷衍すると、ダイアナ・ロスはまるで日本のアイドルです。

 このアルバムはその3曲の1位曲を含め、しっかりとシングルを網羅していて、これまた日本の歌謡曲アルバム的な作品になっています。HDHの作り出す楽曲は、ファンク・ブラザーズのリズム・セクションを得て、見事に典型的なモータウン・サウンドです。

 ダイアナ・ロスのきんきんしたあまりソウルっぽくないボーカルと、大人しめなHDHサウンドが組み合わさって、キラキラと輝くまばゆいモータウン・サウンドが展開しています。リアルタイムでは知らない世界ですけれども、古き良きアメリカを感じます。

Where Did Our Love Go / The Supremes (1964 Motown)