ファウストの面々はいよいよヴァージンのマナー・スタジオに入りました。そこはもちろんちゃんとしたスタジオでしたから、ヴュメで自由に音楽を作っていた時とは勝手が全く違います。インハウス・エンジニア付きの働くバンド仕様のスタジオは彼らに向いていませんでした。

 しかも、ドッグフードを食べていたくせに、英国の食事は彼らにとってそれ以下だと文句をたらたら言い出しました。要するにホームシックにかかったわけでしょう。ヴァージンのオーナー、リチャード・ブランソンとも次第に対立するようになっていきます。

 なかなかアルバムができそうにないことに業を煮やしたブランソンが、中身に口出しをしようとしたことから対立は決定的となります。後にエルヴェ・プロンは自分たちに問題があり、ブランソンの寛容さに甘えていたようだと、若気の至りを認めていますからお互いさまです。

 そんな状況の中でこのアルバムが発表されます。選曲や曲順などにメンバーの意向が反映されていないようで、ヴァージンが彼らに無断で発表したという説もあります。ただ、ネッテルベックが最終的に決めているようですから、そうとも言いきれないでしょうが。

 アルバムはいきなり、そのものずばりな「クラウト・ロック」から始まります。そもそもクラウト・ロックは蔑称でしたから、ここはファウストによる皮肉であり、パロディーだととるべきでしょう。実際、サウンドは英国人が考えるクラウト・ロックの典型です。

 反復するビートを基調としたこの曲はノイ!やカンのサウンドに近い結構な名曲です。サウンドそのものはあまりファウストらしくないですが、この皮肉っぽいところは実にファウストらしいです。何でもありのダダイズムが彼らの持ち味ですから。

 ボーナス・ディスクにはこの曲のジョン・ピール・セッション版が収録されています。同セッションの未発表曲「こそ泥」と続けて聴くと、ジョン・ピールがファウストに期待していたサウンドをそのまま演奏する、意外と従順なファウストの姿が伺えます。

 曲順と選曲にメンバーは納得していない模様ですが、それだからこそファウストにしては、かっちりとまとまった構成になっています。サイケデリックな曲や、ファーストに見られたような牧歌的なフォークっぽい曲だとか、ごちゃ混ぜですが、意外にトータル感があります。

 彼らは自分たちの音楽を「音の特別室や快適なリヴィング・ルームを用意するのではなく、本当にはありふれているけれども『もうひとつの部屋』を用意するものです。そこではあらゆる音が併存可能だし、一緒になれない音はないのです。」と語っています。

 「今まで体験してきたすべてのものが、ロックンロールと一緒にある『部屋』でもあるのです」とも語ります。一般的なミュージシャンによる音楽とは一線を画した彼らの音楽の秘密が明かされている言葉です。音楽の成り立ちが違う。

 ファウストはここで一旦終わってしまいましたが、その影響力はかなり大きく、彼らが用意した「もう一つの部屋」には、多くのアーティストがサインを残していくことになります。彼らは後に復活することになりますが、それはまた別の話です。

参照:"Future Days" David Stubbs、「さらに冬へ旅立つために」間章

Faust IV / Faust (1973 Virgin)