ジャケットで九ちゃんが手にしているのは、言うまでもなく、全米1位を獲得した「上を向いて歩こう」、英語名「スキヤキ」のゴールド・ディスクです。それを記念してでしょう、「上を向いて歩こう」は「九ちゃんの唄(第一集)」に続き、第二集でも収録されています。

 九ちゃんが全米1位に輝いた1963年頃、キャピトル・レコードは海外のアーティストに目を向け始めました。その最初の成功例がこの坂本九、続くのがあのビートルズです。坂本九のライバルはビートルズだったわけです。

 そんな海外での成功を、当時まだ子どもだった私は全然知りませんでした。私たちの世代にとって、九ちゃんは流行歌手ではなくて、歌のお兄さん的な存在でした。むしろバラエティーに登場する姿が印象に残っています。もちろん必ず歌も歌うんですが。

 そして、彼の歌は流行歌ではなく、スタンダードとなっていました。さすがに当時のことですから、音楽の授業で使われてはいませんでしたが、大人も参加する子ども会の行事などで皆で一緒に歌う歌でした。

 テレビの中でも、出演者全員で歌う歌は九ちゃんの歌が多かった気がします。永六輔、中村八大、坂本九の六八九トリオの作りあげた歌の世界は、歌謡界を超えて、一般社会に深く浸透するスタンダードとなっていたのでした。

 これがもう少し上の世代だと、ロカビリー歌手としての坂本九ということになるのでしょう。その片鱗はスタンダード化した楽曲でも十分にうかがえます。とにかく、この人の歌は黒い。黒すぎます。日本人離れした黒っぽさ。今聴いても凄いです。

 この1964年発売の「九ちゃんの唄第2集」では、有名な曲として「明日があるさ」、「幸せなら手をたたこう」、「見上げてごらん夜の星を」、そして「上を向いて歩こう」が入っています。いずれも大スタンダード作品です。

 九ちゃんのインスピレーションはエルビス・プレスリーにあります。白人なのに真っ黒だったエルビスの姿は、日本人なのに黒い坂本九のボーカルにまんま二重写しになります。どちらもばねが凄いです。さすがは全米1位です。

 坂本九にはエピソードが豊富です。全世界で1500万枚の売上を誇っているとか、あのドリフターズの初期メンバーであったこととか、伝説のサックス奏者阿部薫が甥だとか、ちょっとびっくりする話が多いです。

 しかし、1985年の日航機墜落事故で43歳の若さで亡くなってしまったことには胸塞がれます。まだまだこれからという時期だったのに残念でなりません。さらに残念なのは、この悲劇があまりに強く彼と結びついてしまったことです。

 坂本九の唄はもっと末永くスタンダードとなる資格を備えていました。九ちゃんに悲劇は似合いません。六八九の楽曲群はもっともっと広く歌われていてもおかしくなかったはずです。日本のビートルズは坂本九だったはずです。

Kyu-chan No Uta Vol.2 / Sakamoto Kyu (1964 Express)