佐井好子は1970年代後半に活躍した伝説的な女性シンガーです。どれくらい伝説的かというと、少なくとも私は全く彼女のことを知りませんでした。友だちから聞いたこともありませんから、通常のメディアにはほとんど露出がなかったのではないでしょうか。

 公式サイトによれば、佐井好子は1953年、奈良県に生まれています。活躍していた時期は20歳前後だったことになります。「読書と絵画を趣味にする少女に育った」彼女は、中学時代はコーラス部に所属し、高校時代はフォーク・バンドを組んでいたこともあります。

 彼女の作品を解読するキーワードになりそうなのは、「約1年間の闘病生活」です。大学入学直後に安静を強いられる日々を過ごしたことは彼女の作品に大きな影響を与えています。その頃に読んだ本がそれに輪をかけました。

 少女時代から「江戸川乱歩だけは何故か読んでいた」人が進む道、小栗虫太郎、橘外男、夢野久作、久生十蘭、横溝正史などの怪奇幻想小説に行きついたわけです。私は、これだけで彼女に好きになりました。いわば仲間、同好の士です。

 退院後に詩作にふけるようになり、多くの人に聴いてもらえるようにと、作曲も始めた彼女は、あっという間にデビューに漕ぎつけました。デビュー作は1975年5月、この作品はよりトータル・アルバムの色彩が強い第二作目です。

 彼女は1979年には音楽活動を休止してしまいますから、活動期間はほんの短い期間でした。その彼女に再び注目が集まったのは、キング・オブ・ノイズ、非常階段のJOJO広重の熱烈なラブ・コールによるところが大きいです。

 その前には東北地方に佐井好子再評価委員会なるものも出来ていたようですし、凡百のフォーク・シンガーとは異なり、かなりコアなファンがいたということでしょう。彼女の描き出す世界は確かに寺山修司的な色彩がありますから、東北はぴったりマッチします。

 この二作目は「彼女の感性のルーツ的な部分を占める『シルクロード』をベースに、ある種の意識の航海を描いたトータルアルバム」です。当時のシルクロードは足を踏み入れることすら想像できない遠い世界でした。太古の記憶をくすぐる未踏の地です。

 JOJO広重は「悪夢を見て目がさめた明け方」と彼女の魅力を表現しています。そして、「彼女の歌の本質にあるのは、彼女が女性であり、日本人であることを意識した上での、とらえようのない一種の『不安』である」とも書いています。

 彼女の書く詩は難解ではありません。ありふれた言葉を紡ぎながら、幻想的な世界が描かれていきます。曲にも余計なギミックはありません。とても誠実に世界と向き合っている姿は感動的ですらあります。

 クニ河内の編曲により、高中正義や松岡直也などに固められた演奏は、当時のフォークの水準をはるかに超えて見事です。佐井好子の思いに応えて、演奏陣も頑張ったのでしょう。こんな作品が埋もれていたのかと目から鱗が落ちました。

Mikkou / Yoshiko Sai (1976 ブラック)