ポポル・ヴーはヘルツォーク監督の映像作品と切っても切れない関係にありますが、フローリアン・フリッケ自身も映像作品を残しています。本作は1981年の発表ですが、後に1996年の映像作品「シナイ砂漠」に発展していきます。

 これまた難解な映像なようで、このジャケットにあるような砂漠を歩く神秘的な人々が延々と映されていくとのことです。見ていないので何ともいえないのですが、ポポル・ヴーの音楽作品のPVのようだという感想も見えました。

 本作品の話題は何と言ってもクラウス・シュルツのプロデュースです。シュルツはフリッケからムーグ・シンセサイザーを譲り受けたことで、その輝かしい音楽活動が実質的にスタートしたわけですから、二人の関係は悪いはずはありません。

 ちょうどポポル・ヴーの作風が変化の途上にあったことと、この個性あふれるプロデューサーが起用されたことが、この作品を他のポポル・ヴー作品とは一味も二味も異ならしめている理由になっています。良いアルバムですが、決してポポル・ヴー入門者に勧められない。

 今回のメンバー構成は、フローリアン・フリッケのピアノとボーカル、レナーテ・クナウプのボーカル、ダニエル・フィッヒェルシャーのギターとドラムです。お馴染みのメンバーです。レナーテのつかず離れず状態は面白いです。

 そしてゲストにはアモン・デュールIIからクリス・カラーがソプラノ・サックスで参加しているのみです。今回はシタールはありませんし、フルートも入っていません。代わりにバイエルン州立歌劇場合唱団の活躍が目立ちます。

 一曲目の「コーラツィン悲話」から、いきなり荘厳な合唱が飛び出します。フローリアンはコーラス・オルガンと呼ばれる声を録音して演奏するメロトロンのような楽器を使っていたことがありますが、ここでの合唱の使い方にも面影があります。

 ロック・バンド的な佇まいはほぼ一掃されており、無理に分類するとニュー・エイジに含まれてしまうサウンドになってきています。古代、世界がまだ一つだった時代の記憶を呼び覚ますような感覚の素晴らしいサウンドです。

 ダニエルのギターが相変わらず活躍する場面も多いのですが、合唱なりボーカルなりの比重がどんどん増してきています。象徴的なのは「解放」で、これは「ガラスの心」の「現代の天使」のリメークですが、合唱が足されています。

 シュルツのプロデュースが与かって大きいのではないかと思われるのは、全体を覆う重い佇まいです。これも「ノスフェラトゥ」の流れかもしれませんが、人を恐怖させる音楽になっています。ダニエルのギターの響きに象徴される軽やかさにも重力が係っています。

 ポポル・ヴーは魂のためのミサを追及しているわけですが、その探求の道はサウンドの変化を伴いながら、らせん状に進んでいっています。巨視的に見ると一直線です。フローリアンの堂々たる歩みには敬服するしかありません。

Sei Still, Wisse Ich Bin / Popol Vuh (1981 IC)