タントラもマントラもインドにオリジンがあります。大辞泉によれば、タントラは密教経典の総称、マントラは真言です。この話は深堀すれば大変なことになりそうですので、もうちょっと勉強することにしてひとまずやめておきましょう。

 ポポル・ヴーのこの作品には「タントラの歌」と副題がつけられている他に、全11曲のうち、4曲のタイトルにマントラという言葉が使われています。ボートラ4曲のうちの2曲もそうです。邦題では「呪文」と訳されています。

 もともとシタールを使っているポポル・ヴーですから、少しもおかしくありませんが、それにしてもやや過剰です。それもそのはずで、この頃、フローリアン・フリッケはチベットに旅をした様子です。チベットでインド発の神秘的な仏教に触れてきたのです。

 タントラ、マントラ、チベットがこの作品鑑賞にあたってのキーワードでしょう。ただし、いつものように旧約聖書からの引用もあります。今回はモーゼの言葉の模様です。したがって、東西の敬虔対決で、少しアジア寄りといったところでしょうか。

 本作品には、ボーカリストとしてヨン・ユンとレナーテ・クナウプが参加しています。そして、フローリアンもその声を聴かせてくれます。この作品制作の頃、フローリアンはボイス・セラピーを手掛けていたようですから、声に対するこだわりが強いです。

 そのこだわりは、多分に宗教的です。すなわち、声による通奏低音を使って、まさに呪文のような効果をだしています。そのため、せっかく歌姫二人が戻ったのに、彼女たちの出番は1曲のみで、その他はフローリアンのボーカルというより声が使われているのみです。

 チベットにもホーミーがありますし、お経はまさにここでの声楽的なボーカルの祖型になっているのかもしれません。ポポル・ヴーの新たな局面が次第に全開に近づいてきました。これまでの作風とは大いに異なります。

 しかし、「ノスフェラトゥ」の時にヘルツォーク監督から尋ねられた「怖がらせる音楽」が頭にあったのではないかとも思います。正面から取り組んでみようと思ったのではないかという説を私としては唱えてみたいです。

 ともあれ、まだダニエル・フィッヒェルシャーのギターをフィーチャーしたロック的な作風も少し混在しています。全面的にチベットにはなっておらず、曲も比較的短い曲ばかりです。アルバムを覆う空気が恐怖と牧歌が混ざっていて面白いです。

 このアルバムの中の「大気の天使」と「幻の王国にて」は、後にヘルツォーク監督の「フィッツカラルド」に使用されたそうです。「幻の王国にて」はダニエルのパーカッションによるポポル・ヴーとしては異色の作品です。しかし、とてもサントラ向きではあります。

 フローリアン・フリッケはますます自信を深めたように思います。いろんな表情を見せる楽曲を集めて超然としています。ヨーロッパとアジア双方に通底する神秘的な感覚をしっかりとつかんで離さない自信でしょう。

Die Nachet Der Seele Tant (Tantric Songs) / Popol Vuh (1979 Brain)

幻の王国にて