とんでも邦題賞候補作品です。原題は「アフター・ベイジング・アット・バクスターズ」。これでは何のことだかよく分からないと思ったのか日本のレコード会社さんは「ヒッピーの主張」と邦題をつけて発売しました。

 おまけにこんな漫画のようなイラストは駄目だということで、思いっきりサイケデリックなジャケットに作り替えました。おかげで、日本盤オリジナルLPは世界中のジェファーソン・ファンの間でコレクターズ・アイテムになりました。

 当時の彼らの捉えられ方がよく分かります。そして、そのレッテルは現在でも通用します。ヒッピーの時代は過去に封印されていますが、封印された中にはジェファーソン・エアプレインの「ヒッピーの主張」が同報されています。

 この作品はジェファーソン・エアプレインの3作目のアルバムです。前作が歴史に残る名盤「シュールレアリスティック・ピロウ」で、次作がヒットした「創造の極致」。セールス的にはその谷間に落ちる作品として、今一つ影が薄いです。

 しかし、これを最高傑作に挙げる人もいて、さまざまな評価がなされる作品であることが分かります。意見の分かれる作品でも時間が経つと大たい評価が定まるものですが、こちらはそうではありません。いつまでたっても分かれたまま。

 「ヒッピーの主張」は邦題の通り、全編これサイケデリックで、サマー・オブ・ラヴを体現しているかのような作品です。そうなった要因の一つは、前作に比べて突出した楽曲がないこと。アルバム全体に統一感が出ています。

 そして、マーティ・バリンの活躍が少ないことです。作曲も一曲のみ、セッションにあまり顔を出さなかったとも言われています。彼の特徴は「ハート悲しく」に結実するジェントルな感覚で、ハードなサイケとは遠い。その彼が活躍していません。

 プロデューサーも代わりました。できるだけ何もしない主義のアル・シュミットが担当することで、「僕らは新境地を開拓し、スタジオの主導権を握ることができ」ました。サイケデリックの本質の一つ、実験精神が解き放たれたわけです。

 「僕らは驚くほどお金と時間をかけ、スタジオで悪ふざけをしてたんだ。それが興味深い曲を生んだわけさ」。たとえば、「ア・スモール・パッケージ」はフランク・ザッパの作品に触発された楽曲です。「ランピー・グレイビー」あたりでしょう、歌というよりおしゃべりです。

 アルバムを主導しているのは、ギターのポール・カントナーとボーカルのグレース・スリックのようです。ポールとグレース、そしてマーティの三人が歌えるというところがジェファーソンの特徴でもあり、三人のハーモニーは絶妙です。

 そして、とにかくサイケなギター・ワークが特徴的です。サイケデリック・サウンドの教科書を作るならば、バーズとジェファーソンは不可欠で、その中でもこのアルバムはマスト・アイテムです。何と言ってもヒッピーの主張ですから。

After Bathing At Baxter's / Jefferson Airplane (1967 RCA)