ポール・サイモン地獄です。私にはそんな経験はないはずなのですが、先ほど偶然街で昔の恋人に会い、二人でお酒を飲んできた気になってきました。別れて随分時間が経ちましたが、彼女に未練が残っているようで、何ともやるせない気分になってきました。

 繰り返しますが、実際にはそんなことは起こっていません。それでも、この作品を聴いていると、そんな気分になってくるんです。タイトル曲の歌詞そのままですが、アルバム全体がそういう気分を連れてきます。

 まるでアリ地獄のようです。ポール・サイモンの歌を聴いていると感傷に溺れそうになります。経験まででっち上げて溺れさせようとする感傷のしつこさといったらありません。歯を食いしばってもがき苦しみながら這い出るしか道はありません。

 この作品はポール・サイモンのソロ第三作目にして、初の全米1位作品です。シングル・カットされた「恋人と別れる50の方法」もシングル・チャートでめでたく1位を獲得しています。前作を上回る大ヒットです。

 何と言っても話題は「6年振りに復活した黄金のデュエット」です。アルバム中の1曲「マイ・リトル・タウン」はポールとアート・ガーファンクルのデュエット曲でした。アートのアルバムにも同じ曲が収録されるという趣向でした。

 しかし、いい曲なのですが、「シンプルな美しさを極め、ハイセンスで洒落た香りの待望の新作」の中では異色な感じがして、何とも居心地の悪い曲です。アートはレコーディングに不満そうですし、無理することなかったのになという気がいたします。

 本作品は前作に輪をかけて音楽的に凝った贅沢な作品になっています。グラミー賞で最優秀アルバム賞に輝いたのも素直に首肯できます。「ソロ・アーティストとして遂に到達した芸術的頂点」という評判にも異論はありません。

 「恋人と別れる50の方法」でのスティーヴ・ガッドの何とも粋なドラミング、「哀しみにさようなら」でのフィーブ・スノウの鋼のようなボーカル、「楽しくやろう」でのフィル・ウッズのサックス・ソロ、「ある人の人生」でのマイケル・ブレッカーとデビッド・サンボーンの共演。

 加えてトゥーツ・シールマンのハーモニカ、マッスル・ショールズ軍団のコクのある演奏など聴きどころ満載ですし、どの曲も素晴らしいメロディーを持っています。サウンド・プロダクションも本当にハイセンスです。檜山譲さんのライナーまで驚異の充実ぶりです。

 何とも非の打ち所のないアルバムです。サイモン&ガーファンクル時代のサウンドよりも格段に進化していると言ってよいと思います。ある意味で出来過ぎの感があるアルバムだと言えます。何だか恐ろしい。

 ポール・サイモンのライブ映像を見ると、この人は目が笑っていません。感傷で人を溺れさせてどうするつもりなのか、何とも始末の悪い人です。この作品を最後に私はポール・サイモンの音楽からはご無沙汰することになってしまいました。何だか恐ろしい。

Still Crazy After All These Years / Paul Simon (1975 Columbia)