「ワイアットする」という動詞が英語に誕生しました。盛り上がっているパブのジュークボックスで一般受けしない曲を流して場を一気に冷めさせるという行為を指す言葉です。このアルバムがきっかけで誕生した言葉に、ワイアット夫妻は激怒しています。

 10年ぶりのソロ・アルバムだった前作からまた約5年の月日が流れています。いつものことですが、前作の後、ロバート・ワイアットはまたまた創造力が枯渇したと感じて鬱々とした日々を過ごします。今回、転機となったのは引っ越しです。

 ワイアット夫妻は、長年親しんだロンドンを離れ、イングランド東部のリンカンシャー州にあるラウスという町に引っ越しました。半身不随のロバートにとっては田舎の方がずっと住みやすく、一人で外出することも容易になりましたし、家の中をより自由に動けるようになりました。

 ここらあたりは奥さんのかじ取りのうまさを感じます。ロバートにとってアルフィーは本当にかけがえのない人だということが分かります。そのアルフィーは今回から作詞者としても活躍します。創作上のパートナーともなったわけです。

 アルバムのタイトルはスペイン語で「彼らはどこ?」という意味ですが、世界史上では1991年にソ連が崩壊して多くのスタン国が誕生した事件がありましたから、共産党員だったワイアットにそのことが意識されていないわけはありません。

 共産党員だったと書いたのにはわけがあります。英国共産党に幻滅し、東側諸国が崩壊したことによる共産主義の敗北を目の当たりにして、ロバートは共産党を脱退します。冒頭の曲「CPジービーズ」は共産党への別れの歌です。

 この作品は、前作に引き続いてほとんどの楽器をロバートが一人でこなしています。今回は田舎に引っ越したことで家が広くなり、ドラムも自由に使えるようになりました。アルフィーが詩作に加わったことといい、明るい話題には事欠きません。

 アルフィーの作る歌詞の多くはスペイン滞在時に書かれたもののようです。ジャケットの絵ももちろんアルフィーによるものですが、これもスペインでの想い出が絵になっています。明るい太陽のもとで過ごした日々もこの作品の糧になっています。

 しかし、この作品はとてもフラジャイルな魅力を湛えています。どこか危なっかしい感じが溢れだしています。ロバート自身がこのアルバムを頑丈ではないと捉えており、長い間、何とかしてあげなければと思っていました。

 その結果、1998年のCD化にあたって、本人によって改めてリミックスが行われ、曲順も変更されて、「ドンデスタン(リビジテッド)」として新装されました。病気がちで気になってしょうがない子どもということです。

 そうして手をかけて育てても、「ワイアットする」などと言われてしまう危うさは消えません。重苦しいというと少し違いますが、決して明るいとは言えません。パブを黙らせてしまう、病んでいるような美しさに満ちた作品です。

参照:"Different Every Time" Marcus O'dair

Dondestan / Robert Wyatt (1991 Rough Trade)